コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

陸王

最近、ドラマ『陸王』をみている。

 

陸上競技、特に長距離をやっていた人間から見ると、ちょっと違うんじゃない?と思う点も数点あるが、それぞれの立場の人たちが挫折や苦悩から這い上がっていく人間ドラマとしてはとても共感しながら見ている。

 

最初に、突っ込んでいる点は…

 

まず、世の中は竹内涼真くんかっこいい〜!に染まっているが、長距離のフォームそんなんじゃなくね?っていう突っ込みを入れてしまう。笑

 

また、大手シューズメーカー・アトランティスのRⅡというマラソンシューズが茂木(竹内涼真)には合わず、厚いソールだとかかと接地になり怪我に繋がりやすいからソールを薄くしようという話が出るが、あれでも十分薄いのでは?と僕は思った。

 

ドラマでRⅡとして出ているシューズは、実のところミズノのウエーブクルーズというマラソンシューズのロゴを変えたものである。

 

僕も高校時代2足、色違いで持っていた。

 

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あのシューズは箱根駅伝を走るランナーでも使っている選手は多いが、20km超の距離にはあの薄さが限界ではないかと僕は思う。

 

接地云々の前に、薄すぎて故障してしまう。

 

とはいっても、僕自身もあのシューズは合わず2足とも後輩にあげたり、処分してしまったりした。

 

(そもそも、写真のシューズはオーダーシューズとして18,000円で買った10日後に陸上部を辞めてしまったので、レース1本しか使ってない。その後もたまに使ったけど、しっくりこなかった。)

 

ソールの厚さ云々というよりは、感触が合わなかった。僕はどちらかというと、アシックスやナイキの市販のマラソンシューズの方が合っていた。

 

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あと、ドラマ・小説の演出上というのは分かっているが、あんなに乱暴な扱いをするシューズメーカー、実業団はいくらなんでもないだろうと思う。

 

ビジネスだから、もちろん提供するメーカーとしては活躍できる選手のスポンサーになりたいというのは理解できるが、あそこまで切り捨てるというのは普通ないと思う。

 

 

という風に細かいところを見ていくと、陸上経験者としてはもう少し丁寧に作ってほしかったと思うところもあるけど、物語の中で描かれる一人一人の心情だったり、言葉だったりはとても好きだ。

 

特に、山崎賢人が演じる社長の息子や竹内涼真が演じる茂木の姿は自分が経験してきたこととも通じるところがある。

 

僕自身、高校2年生の時に似たような怪我をしたことがあった。ドラマで茂木がマラソンのレース中、しかもあと数キロでトップを狙えるというところで半腱様筋を痛めて棄権することになった。

 

僕は半腱様筋の怪我ではなかったけど、怪我をした筋肉の位置も近いし、怪我の仕方も5000mのレース中だったので、あのシーンを見ていてそのときのことがフラッシュバックしたような感じだった。

 

特に2話の中で「そんなこと言ってられない。周りに置いていかれそうなんだ。」という焦りは、当時僕も大きく感じていた。

 

今思えば、どうせしばらく治らないなら合宿も新人戦も駅伝も捨てて完治することに徹するかと割り切ればよかったと思っているけど、当時はそう思える余裕もなく完治していない痛みがあるなかで走れるかもしれないと期待して走り、次の日には痛みが再発して走れなくなるというのを繰り返していた。

 

その結果、自分のフォームにも変な癖が残ってしまった。

 

だから、なんだかこのストーリーを見ていると、過去の自分を重ね合わせてしまう。

 

 

一方、就職浪人をしている息子が面接を繰り返していくうちに、最初はがんばろうと思っていたこともそう思えなくなり、否定されていくうちに自分のやりたいこととかどうでもよくなっていく…「必要とされないのは案外キツいよ。」という言葉は分かるなあと思った。

 

 

だからこそ、自分の想いとか原点を見つめ直して、その言葉から進んでいく人たちには、自分もそうだよなという強い共感だったり学びを憶える。

 

 

余計に、自分自身がプロジェクトも駆け出し、陸上も再び駆け出しという今だからこそ感動を感じたり、感情を入れ込んだりするのかもしれない。

 

 

陸王というドラマを見ていて、過去の自分のことも思い出すけど、これから進んでいく上で必要なことの学びにもなる。

 

僕も頑張っていきたい。

キラキラした自分になりたい

最近ある人と話していた時にこんなことを言われた。

 

木幡のプロジェクトからワクワク感が伝わってこないんだよね。なんだか、今までの償いみたいな感じがしてくる。

 

言われた直後はすごくショックだったし、そんなことはないと否定したくなったけど、よくよく考えていくとそんな感じがしてきた。

 

好きでやっているというよりも、今の現状が嫌だから、ヤケになって動いてるという感情が心の底に溜まっている。

 

過去の出来事とか苦しさに囚われて、そこから抜け出すことばっかり考えて、そこを抜け出したい、見返したいと思うから動いている。

 

楽しいふりをしているだけで、本当は楽しくないのかもしれない。

 

なんでこんなことをしているんだろう、いっそ何もしないほうがいいのかもしれないと自分を呪ってしまうような考えも頭のなかに浮んできた。

 

でも、考えてみた。

 

一体自分は何が楽しいんだろう、楽しいことには何があるんだろう。なぜ自分は楽しいと感じないのだろう。

 

 

例えば、今やっている陸上競技は楽しい。

 

のめり込むくらい楽しい。twitterのタイムラインがほぼ全て陸上競技の話題になるくらい楽しい。

 

そもそも走ることが大好きだ。駅伝を見るのも大好きだし、走っている選手たちがかっこいいと思う。

 

 

では、どうして自分が走ることが楽しいと思うのだろう。おそらく、世の中の70%くらいの人から見れば、”長距離を走る人たち”というのは、奇妙な存在なのだと思う。

 

苦しい顔をしながら、なぜ長い距離を走りたいと思うのか。

 

と、世の中の人たちは思うに違いない。なんなら、同じ陸上部でも短距離の人たちから見れば長距離の人たちの練習は”おかしい”と思っているらしい。

 

でも、僕は走ることをほぼ毎日続けている。それは、もっと速くなりたいという気持ちと目標、一つ一つ積み重ねていった時の達成感がすごく気持ちいいからだ。

 

もちろん、苦しいと思うし、走りたくないと思う日もあるけど、長距離は楽しいと思う。

 

リズムに乗れた日は弾むように走ることができる。

 

 

そんなことを考えていたら、ある人が「苦しそう。ワクワク感を感じない。」と言った理由が見えてきた気がする。

 

今、自分がプロジェクトに対して抱いている感情は後ろ向きでしかない。

 

失敗して迷惑をかけてきた周りに対して申し訳ない。

これまで辛かった。

こんなのは嫌だ。見返したい。

 

という気持ちしか持っていない。

 

そのことは前の記事に書いている。

自分の中心 - コハタのコトバ

 

そう考えると、楽しくない理由が見えてきた。

 

そりゃたしかに、プロジェクトをやっていて、無力感をひたすら感じるし、進まない…と思うわけだ。

 

前に一歩進みたい、追いたいという身体が前に進む気持ちになれるはずがない。後ろしか見ていないのだから。

 

とはいっても、目標を立ててみても、力を入れてここまでやってみるんだと感じれるような目標にはならない。むしろ、白けてしまうような目標だ。

 

どうすりゃいいんだぁぁぁああ。

 

と、頭から煙が出そうになったので、友人に聞いてみた。

 

最近、何が楽しいことか分からないんだよね。

と。

 

すると、友人は

無意識に選んできたことが楽しいことじゃないかな。

続けてきたこととか。

と、言っていた。

 

なるほど。

はっきりとは答えが出なかったけど、なんとなく肩の荷が降りた気がした。

 

帰りの電車のなか、自分が楽しいと感じることを書き出してみた。

 

走ること、人と話すこと、書くこと、料理、動画…

 

 

 

ひと通り書いてみて、ふと思い出したことがあった。

 

自分がアナウンサーになりたいと中学生のときに思った時のことを思い出した。

 

 

これまで、アナウンサーにどうしてなりたいと思ったのかを思い出せずにいたけど、このときようやく思い出すことができた。

 

それは、いろんな仕事をしてる人に会えるからという理由だった。

 

ラジオのパーソナリティもそうなんだけど、リポーターをしているといろんな人が仕事しているところへ会いに行けるということを知った僕はとても魅力的だなあと思った。

 

最初は普通のジャーナリストというよりは、スポーツアナウンサーになってプロ野球選手と間近で会いたいというほうが強かったけど、その興味が薄らいでからは地域の人とか、いろんな仕事をしてる人に変わった。

 

スポーツでもそうでないほうでも、共通しているのはキラキラしてる人に会いたいということだった。

 

そんな人にたくさん会って行ったら、世界が広がりそうだ、キラキラしてる自分になれるかもしれないと当時の自分は思ったから、アナウンサーになりたいと思ったのかもしれない。

 

そんなことを思い出したら、プロジェクトをやる楽しさであったり、こうなりたい姿というのが少しはっきりしてきた気がする。

 

そうだ、僕がプロジェクトをやるのは、償いとか過去の辛いことを超えたいとかギシギシしたもののためではなくて、キラキラした自分になりたいからだ。 

 

キラキラしてるっていうとオシャレ感があるけど、なんというか『目を輝かせている自分』になりたいのだ。

 

そして、メディアをやりたいって思ってたのは、実はもっとシンプル。

 

キラキラしている人に会いに行きたいから。

 

伝えたいとか、応援したいとか、その前に…その前に、自分がまず出会いたいから。

 

キラキラしてる人たちと出会って、自分もキラキラしてる人になりたい。そして、知らせたい。

 

だからだ。

 

今この瞬間、僕が頑張りたい理由は『キラキラしてる人に会いに行きたいから』になった。

 

 

そんなことを思うだけで、とても前に進みたいと思えるようになった。そうか、これがしたかったのかと感じれるようになった。

 

これから、いろんな人に出会っていきたい。いろんな人の話を聞いてみたい。

 

 

そして、キラキラしてる自分になりたい。

自分の中心

明日、tasukiがスタートする。
 
7月にメディアを始めたいってだいこんにLINEを送って、8月末に山本に取材させてと連絡をして、9月11日に取材をして、明日初めての記事をリリースする。
 
ここに辿り着くまで3ヶ月かかった。
 
高校3年の時、大学受験の志望理由書に書いた「メディアをつくりたい」という文章から数えると4年かかった。
 
 
まだ本当にスタートできるんだろうかというはっきりとしない感じ、モヤモヤとした不安はもちろんある。
 
ここ2ヶ月くらい、もう何をやったって自分はダメだと卑下してしまう時間も多かった。
 
2年前から自分が何もできなかった時間を過ごしてきて、もう自分のベストを超えることは無理かもしれないと思ってしまうことのほうが大きかったりする。
 
よく、陸上競技の世界だと、高校の頃に出したベストタイムを超えられず、伸びずに選手生命を終えていく人間はよくいる。自分はそんな大した人間ではないけど、そんなのを見るたび、自分もそんな人間のひとりなんじゃないかと不安がった。
 
 
中学2年の冬周りから孤立した時。
 
高校2年の秋から冬怪我で走れなくて結局陸上を諦めてしまった時。
 
今まで生きてきた中でも、思い通りにいかなかった時期は当然あった。
季節に春夏秋冬があるように。
 
 
この冬はとても長かった。
 
この2年間本当に辛かった。
 
団体は立ち上げたけど「自分は何をやってる人間なんだろう」という思いに駆られて。
 
自己紹介でもふわふわしたことしか言えない。
 
お金を求めても、確固とした活動ができているわけではない。
 
辛かったし、悔しかった。
 
 
でも、何をできなかった。
 
もちろん、お金が入ってこないことの苦しさはあったと思う。
 
 
 
でも、それ以上に自分が何をしているのか分からない、フワフワしていることの苦しさの方が遥かに大きかったと思う。
 
 
大学3年生になってからゼミのプロジェクトをやったり、先生が主宰している塾のスタッフをやったり、修行だからと言われ、それを受け入れるしかないから「修行なんだ」と思いつつ、何故やらなければいけないのかが分からなかった。
 
 
でも、1年経ってみて振り返ると、あの時期に例えばおしゃべりカフェを続けたとして良い結果が生まれただろうか、ジブンゴトLab.を続けていられただろうか。
 
 
たぶんでしかない。
 
けど、うまくいかなかったと思う。
 
 
本音を言えば、2年前は「コミュニティを引っ張っていきたい」「自分がエースになりたい」という自分が一番でなければ嫌だった。
 
 
自分の中身というよりも、相対的に勝つことが原動力のほとんどだった。
 
一時期、走っていたことのモチベーションも、一番前を走ることだった。
 
 
 
1年経つ間に、自分自身がリーダーでなければいけないとか、エースじゃなきゃいけないとか、一番前走ってないと嫌だという感情が抜けていた。
 
今になって気づいた。
 
 
木幡真人という個人として、何を創るのか、何を目指すのか、どんな人間になりたいのかをもっと中心に据えて考えられるようになった。
 
 
そういうことを人の下で働くようになって、自分が中心じゃない現場で動くようになって、自分が注目されない世界で動くようになって、初めてそれをモチベーションにしても意味がないんだってことに気づいたんだと思う。
 
当時、勝ちたいとか、目立ちたいとか…そういうことを考えていたのは、自分が満たされなかったからだと思う。
 
学校に行っても周りと上手くいかない、活動をやっていても自分がこれというものを創れないから周りに目が行ってしまった。上手くいかない自分を見せたくないから、何もないのを隠したくて目立ちたかった。
 
でも、大学3年生になり、人と繋がれるのは自分の名誉とか振りかざす何かではないと気づいたし、案外、大学の周りの人とは普通に繋がっていた。
 
 
次第に周りに対する棘もなくなっていた。
 
 
 
 
僕にとって、今原動力になっているものは、一番になることでも、誰かに勝つことでもない、威勢良く叫ぶことでもない。
 
ただ、自分が創りたいものを創ることだと思う。
 
今まで自分は最後まで作り切れたというものがない気がする。
 
 
野球も、新聞も、バレーも、陸上も、メディアも。
 
全て中途半端にしてきた。
 
 
だからこそ、僕は今度は自分がやりきった、本当に次のステージが見えてきたから次に行くと言えるまでやりきってみたい。続いていくものをつくりたい。

最近、不調。

最近、すごく不調。

 

仕事に手がつかない。

 

陸上、卒論、tasukiの記事執筆、家事。

 

だいたい、こんなところが日々自分が抱えているタスクやアクティビティ。

 

やらなきゃいけないとは分かっている。

 

だけど、なんだか仕事に手がつかない。10月に入ってから。

 

打席に立たないと始まらないことくらいは分かってるんだ…。

 

でも、なんだか。

 

あと、最近ネガティブになりやすい気がする。

 

走ることで精神をなんとか保てているけど、仕事や卒論に関しては精神的に憂鬱。

 

できる気がしない…。

 

余計に、陸上で最近走れているものだから、満たしてくれる「走る」ということだけに偏り過ぎになっている。

 

土日になると走ることと最低限の家事だけをして、寝ていることもしばしば。

陸上関係の話題をテレビで見たり、Youtubeで見るくらい。

 

本当はスタバにでも行って仕事をすればいいんだろうけど、もう疲れたっていう状態になってしまう。

 

朝、ベッドから起き上がるのもしんどい。

朝が来てしまった…またしんどいことをしないといけないのか…無力感…みたいな日がここ数日続いている。

 

でも、大学に行くまでの時間でジョグをすることにしてるから、なんとか起きて走ることとシャワーを浴びて、朝食を食べるということをして健康には生きている。

 

あとは、金欠もその状態に拍車をかけているのだろうか…。

 

いろんなフワフワした不安がのしかかって、思考停止というか、動きたくなくなっている。

 

そもそも実家だと仕事をする気が起きない。

 

困った…。

 

あと、これはなんだかんだ思ったことなんだけど、彼女がいなくて寂しいという感情があったりもする。秋だからセンチメンタルになっているのだろうか…。

 

今は努力の時だから恋愛したいとか甘いことは、よしておこうと思っていたけど、実際精神的支えになってくれる人がいてほしいと思うこの頃。

 

走っているからある程度アドレナリンは出てるんだけど、それでも超えられない壁はまだあって、寂しいとか苦しいとか思ってしまう。

 

それが、良いか悪いかは別にして。

 

でも、書いてみて少し今の自分がどんな状態にあるのか分かったような気もする。

 

ちょっと、きょうは弱音というか愚痴を吐いてしまいました…。

 

明日はカフェに行って、仕事をしようと思います。

後期の大学が始まった。

後期の大学が始まった。
 
 
 
いろんな人たちが大学に久々に集まってきている。
 
夏休みは閑散としていた場所が再び賑わっている。
 
 
 
2年生の頃、ひとりぼっちでいた頃はあまり大学の人混みが好きではなかったけど、気持ちにゆとりが出てくると何だかこの賑わいもいいもんだなあと思うようになった。
 
 
 
そういえば、今まで誕生日を大学で迎えるということがなかったのだけど、
今年から夏休みの終わりが早くなったので、来週の誕生日は授業を受けながら迎えることになりそうだ。
 
 
それにしても、高校生の頃は周りも部活をしていたから肌の色が焼けても何も気にしなかったけど、さすがに体育会もないこの大学では、夏休みの間ずっと走っていた僕の肌の色は少し浮いている気がする。
 
 
自分がそう思い込んでいるだけかもしれないけど。
 
 
 
 
こないだ入学したと思ったら、4年間で8セメスターあるうちの7セメスターが終わり、これから8セメスターが始まる。僕はこれで終わらなそうだけど…。
 
 
 
大学4年生ってもう少し大人だと思ってたけど、実際になってみるとまだまだ自分は幼いなということを突き刺さってくるように感じさせられる。
 
 
でも、ここに来るまでバスの中でふと考えていたんだけど、昔は異様に拒絶していたものが、今はまあそういうのもあるよねって言えるようになった。
 
 
 
 
良いとか、悪いとか、そういう基準ではなくてフラットな目線で視ることができるようになった。
 
 
 
意識高いとか、就活がどうとか、パリピな人たちとか、何かを括ってそれを自分の世界から排除しないと自分という存在に危害が加えられそうで怖かったのかもしれない。
 
 
 
でも、実際のところ、そんなのありえない。
誰も危害を与えようとしていないし、ディスろうともしていないし、なんならそんなに他人には興味がない。
 
 
 
 
 
不思議なもんだ。
 
 
 
 
 
 
走っていてスピードが乗っていく毎に、自分の視界、耳からノイズがなくなっていくように、自分の作りたいものを作っていると不思議と周りの雑音がなくなっていく。
 
 
 
 
話が脱線するけど、最近facebookでビジネスの話をしていた先輩がいた。
 
 
飲食店を失敗させてしまう人の理由みたいな、そんな記事をシェアして書いていた。
 
 
 
 
哲学が大事で、自分はビジネスという以上に芸術家でありたいとその人は言っていた。
 
 
今やっている活動がビジネスとしてお金が回る仕事になったらいいとはもちろん思っているけど、やっぱり僕たちが目指すのはその先のこんな社会にしたいとか自分たちがこうなりたいという、大きなキャンバスに絵を描いたり、ものを創っていくアーティストなのだとその人の話を読んでいて思った。
 
 
 
 
 
他人のことを気にする前に、自分の作り出すものに精神を割きたい。

一番最初に聞きたい理由があった

新しく始めるプロジェクト tasuki -想いを繋ぐメディア- のトップバッターとして、大学1年から3年にかけて一緒に活動していた山本くんへ取材をしてきた。
 

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彼はsirubeという会社を6月に立ち上げた。
 
 
 
山本には一番最初に聞きたい理由があった。
 
 
 
 
ここに到るまで、ずっと悩んできた。
 
 
 
 
彼と一緒に活動していた頃からメディアをやりたいという話はしていた。
 
でも、自分に自信が持てなかった。
 
 
客観的にみれば「時じゃない。」ということだったんだと思う。
だけど、当時は周りにいた人間を振り回したし、自分の中でも決断できないことが続いた。やりたいという気持ちはあるけど、それを具体的な行動にできる自信、続けていくエネルギーがなかった。
 
 
 
それから、1年半という時間が流れた。
団体を立ち上げてからは、2年という時間が過ぎた。
 
 
かなり時間が経ってしまった。
その間、今にして思えば僕自身が覚悟を決めるための道だったのだと思う。
 
 
 
 

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当時はまだ、本気でやりたいという気持ちよりも、成功するかどうかという気持ちの方が先行していた。実際には、その先を自分にはまだまだ描けていなかったし、続けていける自信もなかった。
 
足元ばかり見ていて、真っ直ぐ先を見れずに迷ってた。
 
 
 
そして、何よりその頃は周りばかり気にしていた。
有名な人たちや、自分の先を行く人たちを見て、自分はこれだけのクオリティを残せるのか、実績を出せるのかという考え方だった。
 
 
有名な事例にもなっているWebメディア、自分の先を行くプロジェクトを動かしている人たち、有名なライターたち。 
 
 
足元ばかり見ているのに、気にするのは遠くのことばかり。
 
 
 
もちろん、ずっと今の今までそういう考え方をずっとしてきたわけではないが、ここに来るまであまり自分自身がアクションを起こす『マイプロジェクト』という意識を持てずにいた。
 
 
 
その間、同世代の人たちはいろいろなところで活躍していった。そりゃ、何も形にできていない自分は焦りに焦った。
 
 
自分にとっては、彼もその一人だった。
 
僕は悔しかった。
 
 
 
 
自分はこれだという物を持っていなかったからそれが悔しかった。
 
 
自責というよりも他責の思いのほうが積もっていた。
 
一緒に頑張っていた時代があるのに、なぜ僕は何ひとつできていなくて、彼らは表にいるのか。
 
 
 
でも、僕は何もできなかった。何も起こせなかった。
どれだけ、SNSを通して同世代の活躍を見ようと、それを見て嫉妬の気持ちを募らせようと。
 
 
 
 
僕が最後の最後、自分自身の想いに従おうと決めることができたのは今年の夏だった。
 
 
 
それは、嫉妬じゃなくて自分が愛せるものを創りたいと思ったことだった。
 
 
稼げるかどうか、周りにレベルで勝てるかどうか、アイツはこれと思われるかどうか、どうせ何をやっても結局そんなことがついてこないのだとしたら、そんなことに固執している意味はないのではないだろうか、そう思った。
 
 
 
 
 
そう思い始めてから初めて、それまで出てこなかった納得できる名前が出てきた。
それが、tasukiだった。
 
 
 
自分の想いを込めることができる名前になった。
 
 
 
 
 
 
tasukiという名前の通り、僕は一番最初に襷を繋ぎたい人として、山本に声をかけた。
 
 
 
当時、僕自身のビジョンや想いを伝えてきたのも、自分の不甲斐ない姿を見せてきたのも一番近くで動いてきた山本という人だったから。やっと僕が形としてではなく、自分の想いとして一歩踏み出せるということを伝えるのは彼が一番最初でありたいと思った。
 
 
 
そして、何よりもこの1年半という時間を、羨ましく見ている観客としてではなく対等なプレイヤーとして、彼がどんな道のりを歩んできたのか、そしてこれからどこに行こうとしているのかを聞いてみたかった。
 
 
 

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当日、取材は『前のを書いてから3年になるの?』という彼の驚いた声から始まった。
 
 
 
そう、彼には一緒に活動を始める前、大学1年の秋に一度コハタのコトバで取り上げたことがあった。
 
 
それから3年の時間が経っていた。
 
 
 
話は少しぎこちない感じから始まって、徐々に熱く語り合った頃のような熱を帯始めた。
 
 
 
 
2時間半という時間の間、多くのことを語った。
 
 
彼がどんな時間を過ごしてきて、そこでどんな景色を見てきたのか、どんな気持ちを抱いたのか、そしてこれからどんな場所へ行こうとしているのか。
 
 
 
別々の道を歩もうと決めた時、僕は怖かった。
全く違う景色を見ようとしていく彼がどんどん離れていくことを。
 
 
 
 
でも、今回はとても楽しかった。
 
 
 
 
彼は最後にこんなことを言った。
 
 
「お互いのつくるものを純粋に『いいよね』って言えるようになったのが成長したよね」
 
 
 

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初めて別々の道を歩き始めて良かったと感じた瞬間だった。
 
 
 
 
さて、この受け取った襷を届けるために、早く記事を書かなければいけない。
 

積み重ねることの大事さ

高校3年生から大学4年生に至るまで、いろいろなプロジェクトをやってきた。
 

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くじらステーション、東北高校生未来会議、大学1年の時に起業しようとしたこと、ブログ『コハタのコトバ』、SFC生と共に取り組んだプロジェクト、おしゃべりカフェ、東北ソーシャルアクションエンジン…
 
 
小さなものを含めたら、数え切れないくらいだし、自分が代表として取り組んだものだけなので、フォロワーとして関わったものを入れるともっともっと多い。
 

続かなくたっていい、と思ってた

 
 
昔は、
 
『続いていかなくてもいい、違うと思ったら辞めればいい。』
 
 
と短絡的に考えていた。
 
 
 
その背景には、高校時代のプロジェクトで引き継ぎがうまくいかず、引き継いで続かせるくらいなら、自分がやって続かないところで潰せばいいというふうに思っていた節があった。
 
 
もちろん、やってみて違うなと思ったら、違う方向へ修正するということも必要だと僕は思う。
 
 
しかし、今の自分がそういう年代ではなくなってきたということも確かだ。
 
今はもう少し違う考え方をするようになった。
 
 
それはここ最近の失敗だったり、陸上長距離という競技が生活に戻ってきてからだ。
 

続けることが結果を生み出す

 
 
陸上長距離という競技は積み重ねの競技だ。
小手先の何かで、道具ひとつで、一瞬でスピードが変わるような世界ではない。
 

 
もちろん、何かの拍子に調子が上がったり、いいタイムを出すことは多々ある。
しかし、それは水面下で続けてきた貯金が一気に結果として現れただけ。
 
 
 
 
弛まず続け、積み重ねてきた過去がなければ、良い未来は現れない。
 
 
 
長距離は何もやらない時期が続いて、5000m15分台は出せない。
走り続けなければ、期待する結果は出せない。
 
 
 
例えば、1日で100km走ったという24時間テレビのマラソンみたいなのは結果として分かりやすいかもしれない。
 
 
でも、僕が求めているのはそこじゃない。
 
5000mで15分台を出したい。
もっといえば、人生で一度でいい、14分台を出してみたい。
 
 
そうするには、やはり続けるしかない。
 
 
高校2年生の時に怪我をしたことを思い出して僕は思う。
 
『一時の無理は暴走』だ。
 
 
 
痛みを隠してでも出るということは、なんだかかっこよく見えるかもしれない。
でも、怪我をしてしまったら、続けることはできない。
 
 
復帰するまでに、今まで積み上げて来たものがチャラになってしまう
 
 
 
 
 
だからこそ、結果を残すためには、流れるように続いて行くことをやらなければいけない。
 
 

結果を出す人は続けている

 
 
振り返ってみると、僕の先輩で箱根駅伝常連校に進んだひとがいた。
その人が怪我をしたところを僕は見たことがない。
 
 
結果を残す、成長をしていく人というのはそういうことなのかもしれない。
 
 
 
 
1日で100kmを走ったとしても、100kmは100kmでしかない。
例え、1日10kmだったとしても、それを1ヶ月続ければ250km(休養を入れた場合)になり、1年になれば3000kmになる。
 
 
続ける事こそが、次の可能性を生み出す。
 
 
 
 
高校生や大学1年生くらいの時は、打ち上げ花火的な事をやることが凄いことだと思っていた。
 
 
 
 
もちろん、それが「悪い」と一概に括れられるものではないし、一定の社会的効果があることもあるだろう。
 
 
 
 
ただ、僕にとっては結果的に違和感を持つきっかけになった。
短期的に成果を残せたとしても、それは一時的なものだし、何より自分へのダメージが大きい
 
 
 
 
燃え尽き症候群になってしまう自分がいたし、そうやって去っていた何人もの人を見てきた。
 
 
 
逆に、僕が見てきた東北のトップランナーとなっている人たちは逆だった
 
 
 
 
できることを、周りと関係し合いながら、ジワジワと1年、2年と続け、震災から6年半もの間続けてきた。
 
積み重ねてきたことが、今の結果に辿り着いている。
 
 

 

きのう書いた、底上げの矢部さん石巻で活動するイトナブの古山さんのことを見たり、そういった人たちと話したりしているとそれが顕著だなと思う。
 
 
 
震災から6年半、矢部さんは気仙沼の底上げやアショカで全国を飛び回り続け、アクションを起こす若者に触れ続けてきたからこそ、次のステージという可能性が見えてきているのだと思う。
 
 
 
やっぱり、本当に社会にグッドインパクを生み出したいと思ったら、走り続けるしかないし、それが一番の近道なのだと思う。
 
 

小さな一歩、大きなビジョン

 
箱根駅伝3連覇を成し遂げた、青山学院大学の原晋監督も「目標は高いほうがいいけど、具体的なアクションは半歩先を描く」と言っている。
 
 
今の自分にできないアクションを描くことは、暴走だと。
 
 
 
たしかに、今の自分が踏み出す一歩は小さい。
想いを伝えるメディアをつくる。
 
 
それを一歩、一歩続けて行くことで、周りの若者が一歩踏み出すきっかけを生み出す未来に近づけたらいい。
 
 

最後に、このブログを続けて2年

 
思い出したように書きますが、この『コハタのコトバ』というブログをはてなブログで書き始めて、9月で2年を迎えました。
 
 
もともと、Wordpressで3年前に始めた『コハタのコトバ』ですが、このブログになってからは2年です。
 
 
約140記事ほどを書いてきました。
かなり拙い文章が多く、時には心機一転しようとブログのプラットフォームを変更したこともありました。
 
 
 
僕はそれでもここへ戻ってきました。
 
それは、まさしく今日のテーマ『積み重ね』という意識。
 
 
 
急に何かが変わることはない。見えるものは、そんな一瞬には変わらない。
自分のアクションを続けることだけが、気づいたら後ろを振り返ったら変わっていた、壁を壊していたというだけの話。
 
 
 
僕が陸上長距離で大好きな、大迫傑選手があるインタビューに残した言葉。
 
 
 
再び陸上長距離をやり始めてから、そんな意識が強くなっています。
 
 
 
 
 
それに気づいてから、ここへ戻ってきて、書き続けています。
 
 
『ブログ』というのは、ログというだけあって、記録していくもの。
自分が長く、長く続いてきたなかで、どんなふうに成長していったのかを後になってから過去を振り返るためにも、むしろ拙い文章こそを残したほうがいいのではないかと思って残しています。
 
これから先、僕はどんな生き方をして、どんな言葉を残していくのだろうか。
 
 
自分でもまだまだ分からないですが、真摯に言葉、行動と向き合って残していきたいと思います。
 
 
 
今日は、陸上競技とプロジェクトの話を絡ませて、積み重ねるということの大事さについて考えました。