コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

新しい、を創る年へ

あけましておめでとうございます。
 
 
2017年が始まって3日目です。
僕はというと、元旦からニューイヤー駅伝箱根駅伝と走る人たちを見ながらこたつで餅を食べながら過ごしてました。
 
ちなみに、年末に体調を崩したので、約1週間家に引きこもりです。当然、太りました。
 
ところで、昨年はというと「今年は大学3年生になるからやったるぞ!」とばかりに、元旦にメッセージVTRを撮影したり、神社で大吉を引いて絶対にいける!とでっかく出ましたが、1年過ごしてみるとなかなか思い通りではない時期でした。失敗したり、思うように身動きが取れなかったり、突然前が見えなくなって、後半は持ち直しましたが、自分の情熱が少し消えかけました。思い通りではないし、混沌としていたし、不本意といえば不本意な1年だったのかもしれません。
 
ただし、混沌とした2016年という時間を過ごしたからこそ余計なものが剥がれ、自分の気持ちが整ったような気もします。自分の言葉が出なくなったからこそ、もう一度リセットして、今の自分に向き合えている気もします。
 
簡単にいうと、洗濯機の中で洗われた1年だったのかもしれません。笑
 
 
さて、そんな目が回るような1年を越えて、2017年がやってきました。
 
僕は今年を「情熱の年」にしていきたいと思っています。
 
4月からは大学4年生になり、大学は「地域創生学類」が始まり、研究室としても3年生が入ってきます。スポーツのように何か大会があるわけではないですが、まちづくりをやりたいと思っている同じ大学の子たちにとってロールモデルになるような結果を残していきたいと思います。
 
 
また、僕自身としても今までやりたいと思い続けてきた「東北で活動する人を伝えるメディア」をアクションにしていきたいと思います。今までの一人で取り組む形から、仲間と一緒に旗を立てていくような挑戦をしていきたいです。
 
 
ちなみに、箱根駅伝を見ながら、4年生になるってどういうことなんだろうと考えていました。
 
僕は「新しいことを創っていくこと」が4年生になることなんじゃないかと思ったんです。
 
 
僕は、今までやってきたことの延長線上、まとめの作業が4年生になってからのことだと思っていました。
 
 
実は、違うのかも。
 
今までは、ある意味前を走る先輩におんぶに抱っこでやってこれた。見よう見真似でやってこれた。
 
でも、最後の年になるというのは、自分よりも前がいない分自分自身のものを創り出さないと、以前よりも越えたとは言えないんだと思うんです。
 
ある意味、卒論だってまとめの作業というよりは、新しい解を出すことです。
 
 
僕が思うに、純粋なインプットも、アウトプットも、またはいい結果も、振るわない結果もすべて3年間のものは自分自身の中に貯めてきたものだと思うんです。材料集めみたいな。
 
 
 
その集めてきた材料で何の料理するのさ?っていうのが、大学4年になってからの挑戦だと思います。
 
 
話がずれましたが、箱根駅伝を見ていて、3連覇を果たした青山学院がなんで3年連続で優勝できたんだろうって考えたときに、いい意味で前の年のものをぶち壊してこれたから達成できたんだと思います。
 
毎年見ていて、チームの色が違う感じがするんです。
 
 
自分たちの色を自分たちの手で創り上げてきたからこそ、前の年を越え続けているんだと思うんです。
 
 
僕自身、大学1年の頃からいろんな経験をさせてもらいました。やっぱり、そういうのって自分自身がってだけではなくて、前を行く人たちのおかげあって経験させてもらってきたことばかりだと思います。振り返ってみると。
 
 
今、思い返すとキツいなぁと思う経験は「仲間」に関することが大学に入ってからは多かったです。ある意味、そこを越えていくのも今年やることなのかもしれないです。
 
そういった、今まで経験して集めてきた材料を持って、新しいものを情熱的に創っていく年にしたいと思います。

2016年の振り返り

今年が終わる。

 

混沌としていた。

 

良いとか悪いとかではない。

 

成長できたことも、楽しいと思ったことも、どうして動かないんだろうともどかしいと思ったことも、嫌だと思ったこともそれぞれある。

 

しかし、その混沌があったからこそ、混沌を乗り越えて、自分を整えた年でもあった。

 

人との別れ、人と通じ合う、いろんな経験をしたからこそ、人に優しくなりたいと思うようになったし、誰かとともに進むことの素晴らしさを学んだ。

 

一人で進んでいた頃なら、気ままに動いていたけど、そうじゃなくなったから戻ってきた軸があった。

 

混沌を超えて、見えたものがあった。

 

2017年は、2016年に作ってきた自分の感覚を使って進んでいく年にしたいです。

 

今年もありがとうございました。

人を切り捨てていたのは自分に自信がなかったから

この人は価値観が違ってきたな。この人のこの話に影響されたくない。
 
そうやって、昔から他人を切り捨ててきた。
 
 
聞こえが良く言えば、自分の価値観がはっきりしているとも言える。でも、違う。
 
 
今まで、自分がいろんなことに巻き込まれたくないから違うと思うと人を遠ざけるようにしていた。余計に、今年は仕事関連でコミュニティを整理整頓をしたので、いつもより敏感になった。
 
 
 
もともと、僕自身が仕事をする上でレベルが違うと思うと切り捨てるタイプの人間だった。この人とは一緒にプロジェクトは回せないなとか、仕事を任せるというプロセスが面倒だから自分でなんでもやったほうが楽、馴れ合いが好きではない。
 
 
成果・目標を設定したら、そこに向かってプロジェクトを回したいと思うから、躊躇したり、自分にはできないという理由で立ち止まる人たちの気持ちが理解できず、この人たちは自分と違うんだなと思って遠ざけていた。
 
今でも少しこういう癖はある。
 
 
 
ただ、そうやって過ごしてきて思ったことがある。
 
 
 
『本当に人を切り捨てる必要ってあるのだろうか?』
 
 
 
 
いつも顔を合わせる人以外に会わなくなってみて、初めて気づいた。人が離れていくことに。
 
孤独や孤高が悪いとは思わないし、自分の価値観を持って生きること自体は良いことだと思う。うまく説明できないけど、孤高と人を避けることは違う気がする。
 
 
 
もちろん、自分が集中するための時間や自分のペースを守る時間は必要だと思う。
 
 
 
でも、相手の嫌なところを見たからといって、すぐにジャッジしてしまうことは一見良いようで、良くないことなのかなと思う。
 
 
自分のペースを壊されたくないから、自分のスペースに入ってこられるのが嫌だったし、自分のスペースから出ていくのがとても嫌だった。社交的なようで、実はそう。
 
 
相手を切り捨てるというのは、暗に「僕は弱いです。だから、あなたに影響されるのは嫌いなんです。」と言ってるようなもの。それって、結局自分の価値観がしっかりしているようで、実はしっかりしていない。
 
 
 
本当にしっかりしているというのは、いろんなものが数ある中で、そのいろんなものを取り入れながらも自分の軸がぶれないことを言うんじゃないかなと思った。
 
 
どんな人と接したって、僕は僕だと思う。その子の気になるところがあるなら、伝えてあげればいいし、ある日突然いなくなるような切り捨て方をしなくてもいいんだと思う。
 
 
 
ある意味、そんなやり方でこれまでいろんな人を失ってきた。
 
 
それだからこそ、自分がここまでこれたということも言えていると思う。
 
 
 
でも、不必要に人を傷つける必要もないと思う。
 
 
 
 
少し余裕が出てきて、周りをみて初めて感じた寂しさだった。
 
そのとき、初めて人を好きになれるようになりたいと思った。
 
 
 
 
なんというか、本当に強かったら、人のことをとやかく思う必要なんてないんだと思う。
自分が弱いから、人をこうだとかああだとか思って、近づけないように遮断して。
 
 
自分が仕事にまっしぐらな時はそれでいいんだと思う。
力を入れて進んでいるときは。
 
構う暇なんかないんだって。
 
 
 
でも、ふっと力を緩めて自分が周りを見渡してゆっくりしたいときもある。
そのときに、思うんだ。仕事のためだけに、人間関係があるわけではないんだって。
 
いろんな関係があっていいんじゃないかって。
 
 
 
だから、思った。もうちょっと、開いてみてもいいんじゃないか。
 
 
 
ずっと走っていても、疲れてしまう。少し緩ませることもしないと生きていけない。
 
 
蛇足するけど、陸上長距離をやっていたときのことを思い出した。練習では、自分のペースを作れるんだ。
設定通り、一定のペースを保てるんだ。
 
でも、レースになると自分のペースはなかなか作れなくなる。
 
つまり、強さってこういうことなんじゃないかな。
 
自分だけの空間で自分のペースを作るなんて簡単で。
 
集団のなかで揉まれても、結果的に自分のペースを作っていける人が本当に強いんじゃないかな。
 
 
誰とでも、0か100か、白か黒かじゃない、ちょうどいい距離感っていうのがあるんだと思う。
それをゆっくりゆっくり創っていけたらいいのになって思う。
 
 
 
 
今までは、部屋の中でひとり閉じこもるような感じで過ごしていたけど、これからはみんなの中に混じってその中で自分の色を出したいなって思った最近。
 
 
 
今までは、人から好きになられたい、注目されたいと思っていたけど、初めて自分から人を好きになりたいと思った。
 
 
 
 
 
いろんなところに行ってみたい。
 
 
 
 
もうちょっとみんなの中にいたい。

妥協できないのは、出会ったしまったから

どうしてか、昔からこれだ!って思ったものは妥協ができない。

 

 

 

他の人ならいいんじゃない?って思ってしまう場面で、つい頑張ってしまう。

もっと良くしたいって頑張る。

 

 

どうして、そんな夢中になって取り組めるの?ってよく聞かれるけど、実のところよく分からない。

 

 

 

 

ひとつだけ言えるとしたら、僕がそれに「出会ってしまった」から。

 

 

うまく説明できないのだけど、昔からそんな感覚がどれを選ぶにもある。仕事もそうだし、恋愛もそうだった。

 

 

僕の中には二面性があって、エンジンが付くとギアを変えて突っ走る方とまぁゆっくりやろうよというゆるい側の人間が同居している。

 

だから、妥協したいときもたくさんあるんだけど、自分の中で妥協したくないという思いだったり、人から助言されて引き戻されて、妥協できなくなる。

 

すると、だんだん妥協したくなくなる。笑

 

 

 

 

それ故に、ひどく悩む。とても、病む。

 

 

このブログにも度々書くけど、高校生のとき成績が悪くてアナウンサーになれないかもしれないと思った時に、じゃあ自分は何になるんだろうと悩んだのは妥協できなかったからだと思う。

 

 

 

職は世間を見渡せば、いろいろある。

 

 

でも、普通じゃ嫌なんだ。生意気かもしれないけど、そう思った。

 

 

 

 

自分が他人に比べて、未来のキャリアについて考えるのが他人より早かったのは、自分で組み立てていくんだという気持ち故だったのかもしれない。

 

 

大学に入ってからも、そんな気持ちは大きい。

 

 

 

 

他人だったら妥協してもいいじゃんとか、今はこれでいいよと言えるところで、どうしても気になってしまう。

自分は今の状態ではダメなんじゃないか?と思ってしまう。

 

 

これが功を奏す時もあれば、災いを呼ぶ時もある。

 

 

 

それ故、人を傷つけてしまったことや振り回してしまうことは今までたくさん経験してきた。(妥協できないことそのものよりも、妥協できないことによって生じる病み期によって)

 

 

 

人より理想が高いんだと思う。こうありたいという姿が。

 

 

でも、やり方がわからなかったりして、動けないときも多い。

高いだけに、中々辿り着かないものに対しては、酷く病む。いつになったら着くんだろう、と。なんで、こんなに走り続けるんだっけ?と。

 

 

苦しい時期は本当に苦しい。立ち止まってしまうほど苦しい。

 

正直、いまも苦しい時がある。

 

ここで止まれたらとか、こっちでもいいじゃんとか。それなりにできてんだから、いいじゃんとか。

 

それでも、なぜか動いてしまうのは、それに初めて出会ったときから感じてる、自分ここに行きたいっていうピンとくるものなんだと思う。

 

やっぱり、自分が求めているものはこれじゃないんだって、また走り出す。

 

 

 

困ったものだけど、それが自分だから。

 

 

 

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大学1年から2年までに出会ってよかったと思う3つのツール

僕が大学1〜2年までの2年間、大学の外で活動して良かったと思うことはITやメディアに関するリテラシーが高い人たちと仕事ができたことです。
 

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当時は知っているだけであまり使えていなかったけど、最近やっと使いこなせるようになってきて、研究室で仕事をするようになってからメディアやアプリ関係のことなら僕に聞けばわかると言ってもらえるようになりました。
 
たぶん、大学に入ってから大小10個くらいのプロジェクトの立ち上げに関わってきて、出会ってよかったと思うツールが3つあります。
 
それが ”Evernote” “Wunderlist” “Adobe Illustrator” の3つです。
 
[目次]
 

1. Evernote

 
緑色の象さんのノートアプリ。
 

Evernote Stickers

 

Evernoteって何がいいの?って聞かれて、僕も一言で答えづらいけど、出会った良かったと思うツールの一つ。機能が多岐にわたるので、これ!とは言えないけど、同時並行で複数のプロジェクトを回す人や移動が多い人にとっては僕はいいんじゃないかなと思っています。
 
僕がEvernote使っていて、いいなと思う機能を3つ挙げるとしたら、移動が多い人にとって合っている、ネットの記事やページをインポートできる、リマインダー機能があることです。
 
他にも、Premiumプランになるとコンテキストといって、書いているノートに関連するノートを出してくれる機能や名刺をデジタル化できる機能などたくさんありますが、ひとまず基本的な機能の中から。
 
 
 
 
移動が多い人にとって合っているという言い方をなぜしたかというと、物理的な移動をしている人と、複数のプロジェクトや立場を持っていてその間での行き来(移動)をしなければいけない人の2つにとって合っているという意味です。
 
 
 
僕は家から大学まで2時間かけて通学しています。なので、どこか一つのデスクに座って仕事をするというよりも、家、電車の中、大学、カフェ、いろんなところを動きながら仕事をします。
 
 
特に電車やバスの中では立たなくてはいけなくなり、どうしてもパソコンを開けないときもあります。そういうときに、アプリになっていてスマホからも閲覧・編集ができるEvernoteはとても重宝しています。また、僕の気分的にワードを開いてさあやるぞ!となるよりも、ノートアプリでサクサク思ったことをかけるほうが書きやすい感じがします。
 
また、後者の「移動」が多い方ですが、僕は1年、2年のときも常に2〜3個くらいのプロジェクトに関わっていましたし、今でも3〜5個くらいのプロジェクトには関わっています。また、学生として、授業に出てメモを取ったり、レポートを書いたりもします。
 
 
 
プロジェクト毎にノートブックを分類することができるので、とりあえず書いて、後でプロジェクト毎に分けるというふうにしています。そうすることで、すべてのノートからタイムラインのようにあるものすべてを見ることもできるし、ノートブック毎に見ることもできます。
 
また、他人とノートブックを共有できるので、僕は一緒にプロジェクトを回す人とは共有しています。
 
 
 
プロジェクトを回していると議事録を取ったり、文章を共有しなくてはいけない場面も出てくると思います。そんなときに、ワードでつくったものをメッセンジャーやLINEで送ってもらって、一々ファイルを開かないといけないということがありますが、Evernoteでノートブックを共有しておけば一々メッセージで共有する必要がなくEvernoteの中に出てくるので、パソコンのフォルダを散らかしたくない僕にとってはとってもいい機能だと思いました。
 
 
 
 
 
 
2つ目は、ネットの記事をインポートできること。もちろん、いろんな記事を見ていて、いいなぁと思った記事を保存しておくためにも使っていますが、僕はレポートを書くときに、参考文献になりそうなものをクリップして、後からでもすぐに見れるようにしています。
 
 
そして、リマインダー機能は、けっこう使っています。
 
 
例えば、期限のあるレポートやタスクを書いているノートにリマインダーをかけて忘れないようにしたり、ルーティンの仕事をちゃんとできているか確認するために1週間毎にリマインダーをかけて毎週チェックしていたり、1年のやりたいことリスト(100個)をEvernoteに作って毎月末に何が達成できた、できなかったかをチェックしています。
 
 
次に書くWunderlistなども含めてですが、大学にいるとワードを使って講義のノートを書いたり、議事録を書いているケースが未だに多く、もっと簡単にできるツールがあるのになぁといつも思いながら、近くにいる人たちにはちょっと伝えています。笑
 
 
 
 
 

2. Wunderlist

 
タスク管理のためのアプリです。
 

wunderlist

 

基本的に僕はタスク管理をとりあえず突っ込むのはアプリ、その日毎のタスク管理は手書き (もちろん、終わったらアプリの方のタスクも消す) というふうに分けています。
 
 
仕事を溜めがちな僕にとっては、手厳しいアプリです。笑
 
 
 
 
他のタスク管理をするアプリを使ったことがないので、僕はWunderlistの長所という意味ではわからないのですが、エクセルやLINEで書いてタスク管理をしているプロジェクトもあるので、それと比べれば使いやすいと思います。企業だと、いろんな制約があるのでしょうがない部分もありますが、学生の場合は特に制約がないので、使いやすいと思います。
 
 
 
 
 
僕がいいなぁと思っているのは、Evernote一緒で移動が多い人に合っているということ。
 
 
 
 
複数のプロジェクトを回していても、フォルダ毎に分けて見ることができるので、僕はプロジェクト、学生、プライベート(主に買い物リストや家事)など大きく5つに分けています。また、フォルダを共有できるので、一緒にプロジェクトを回している人とミーティングの時にWunderlistを見ながら進捗確認をしています。
 
 
 
ちなみに、僕はミーティングの日にWunderlistを見て憂鬱になっています。笑
 
 
 
また、小さい機能で言えば、毎月、毎週、2日毎など、ルーティンタスクにも対応していたり、サブタスクもかけること。
 
 
 
なので、家に夜中にしか帰らない僕は洗濯をする日を繰り返しで設定して、忘れないようにしています。(それでも、家事を疎かにしてしまうのですが。笑)
 
 
やっぱり、いろんなものを回している中でどうしても立場を切り替える毎に忘れてしまうことも多いですし、プロジェクトを回している人たちもいつも顔を合わせていられるわけではないのでオンラインで確認しあえるのは本当にいいなあと思っています。
 
 
 

3. Adobe Illustrator

最後は、プロジェクトマネジメントというよりは、スキル面でこれを使えるようになってよかったという感じです。言わずと知れたデザインをするためのイラレですが、今になって使える人間でよかったなぁと思っています。
 
 
 
もともと、僕がデザインができるようになりたいと思い始めたのは高校3年生のときにデザイン性のある企画書に出会ったことがきっかけでした。そこから、カッコいいものをつくりたいと思うようになっていきました。
 
 
運良く大学1年生から2年生にかけて、一緒にプロジェクトを回した人がWebデザイナーで、デザインが綺麗なスライドや企画書を作るのを見せてもらって、見よう見真似で僕もパワポで企画書を作っていきました。
 
 
 
そうすると、自然にデザインができるようになりました。
 
 
 
 
 
 
イラレは使えるようになりたいと思っていたのですが、どうしても難しいような気がして、最初は無料版を使ってはパワポに戻り…という感じでした。しかし、大学2年生になってからフライヤーのデータを入稿するためにIllustratorデータでないと不可能ということや、今までよりもクオリティの高いものを作るためにIllustratorを使わざるを得ない雰囲気になり購入しました。笑
 
 
実際、大学3年生になってから多くのプロジェクトで僕がデザインをできるのでクリエイティブ面を任せてもらうことが多くなっています。例えば、オープンキャンパスのときにゼミ展示をしたのですが、ゼミを紹介するパネルのデザインをさせていただきました。
 

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自分の中でもう一度メディアをやりたいと思わせてくれたのも、クリエイティブな仕事を本格的にやり始めてからでした。ツールはIllustrator以外もですが、紙ベースのデザイン、Webデザイン、動画制作などを始めるようになってから、自分はメディアをやって伝えていきたいと思うようになりました。
 
 
デザインをバリバリやっている人たちの中では、まだまだですが、クリエイティブなことを挑戦させてもらえる場をたくさんもらっているのは本当に嬉しいです。また、発信したいと思っているものをさらに魅力的にするのはデザイン・クリエイティブの力だと思っているので、それをプロデュースしていけるスキルがあることは本当にプロジェクトを回していく上で助かります。
 
 
 
 
 
だからこそ、僕は自己表現をするためにもデザインをするためのツールは何であれ使えた方がいいんじゃないかと勝手に思っています。プロジェクトの質やその人の想い自体が大切であることは、その通りだと思いますが、こんなことを始めたい(あるいは、始めた)と他人から資料を見せられたときに、ワードの文字だらけの企画書を見せられるのと、デザインされた企画書を見せられるのでは、やはり伝わってくる世界観が違います。
 
 
 
 
結論として、自分自身を伝えるためにデザインをするスキルは必要です。笑
 
 
 
 
ということで、僕が大学3年生になって、改めて1年〜2年の間に出会ってよかったと思うツールは “Evernote” “Wunderlist” “Adobe Illustrator” の3つでした!
 
 
 
僕の中で、1年生から2年生までの2年間は過ごしづらい時期だったなぁと思っていますが、それでもあの頃そういう環境で活動していて良かったと思うことはたくさんあるし、逆に言えばあの頃に触れたものがあるから、今の自分の仕事のやり方や環境があるんだとも実感しています。
 
 
 
 
このブログでは結構「想い」に関することを強く出しているので、普段なかなかスキルやツール系の話をしないんですが、拙いなりに今回書けて良かったです。
 
 
 
とても大雑把な結論ですが、今やっていることは将来につながっていると思います。笑
 
 
 
 
 
こんな「コハタのコトバ」もどうぞ
 

自分は何もできない、そう気づけて僕は良かった。

2016年が気づけば残り1ヶ月半。

 

結果を出す。そう思って始まった僕の今年はどんなだったろう。

 

4つのトピックで今年の今までと、残り1ヶ月半で達成したいことを書きたいと思う。

 

[目次] 

 

突然、何も見えなくなった。

4月だった。ゼミに配属されたばかりのあのとき、突然力が抜けた。4月、団体で高校生の活動をサポートして、ラジオや新聞のメディア出演も少しずつ入ってきた。まがりなりにも、このまま頑張れば収入も入るかもしれないという淡い期待を抱いていた。そう思っていたときだった。

 

前から相談をしていた先生と話したときに「高校生の木幡はゼロにして、次のステージに行きなよ」と言われた。

過去にしがみつこうとして、強がってきた最後の力が抜けた。

 

どうして、自分は高校生に何かしたいんだろう。いつもそういっているけど、 本当に自分のやりたいことって一体なんだろう。何もかもが真っ白になった日。

 

一方で、もう踏ん張らなくてもいい。無駄なモノをまとわなくていいと素直に思えた。

 

1月から4月の僕は、作り出そうというパッションを失っていた。法人を立ち上げてビジネスとしてやっていかなければいけないのに、立ち上げてから結局わからなくなった。一緒に法人を立ち上げた仲間への依存だった。責任をとる人間が誰かは明確にしなさいと言われていたけど、自分にはその意識が足りなかったんだと思う。

 

 

絵を描けなかった。

 

あの日、その最後まで踏ん張ってきた片足を蹴られたような気持ちだった。

 

「学生」に戻って見えたモノ

段階的ではあるけど、僕は「学生」に戻った。2年生の頃は、事業を回していて、大学をかなりおろそかにしていた。

 

3年生になって、半ば強制的に「学生」に戻された。肩書き上は前から学生だけだったけど、自己の中でのできる像みたいなものを失うことへ怖さが最初はあった。周りと同じになって、魔法が解けるような感覚が。ただし、客観的に見ると2年も前に魔法は解けている。

 

しっかり学校に行き始めたのが、5月下旬だったと思う。

 

最初こそ悔しかったけど、僕は「学生」に戻ってよかったと思う。授業に出始めて、自分のできてなさ、見ていた世界の偏り、基礎的な力の足りなさに気づかされた。 

 

高校生のときに目立ってしまったがゆえに、自分は何でもできると思っていた。

 

しかし、経営や事業構想のことを何一つわかっていない。社会を本当にナメてたと感じた。

 

 

 

 

正直、あのまま中途半端に学生をやりながら、法人の活動を続けていたら、僕は社会人になる前に潰れていたと思う。仙台の中、学生の中でちょっと強いくらいで満足して、結局上に行けず、いつかしぼんでいくパターン。そうだったと思う。

 

「学生」に戻って見えたことは、自分は何もできないんだということ。学ばないと何事も成せないんだということだった。

 

 

 

 

 

修行して世界が見えてきた

6月、ゼミでプロジェクトを一つ任せられた。宮城大学オープンキャンパスでゼミ展のリーダーをやることになった。統括と、ゼミ紹介のパネルデザインと高校生向けのイベントを企画した。

 

 

 

高校生向けの活動は、いままで自分がやってきただけに、地域創生、まちづくりに興味のある高校生へ届けたいと思ってリーダーをやることに手を挙げた。

 

そこから、可能性が大きく広がっていく。新設される学類の高校生向けプロモーションの一部を任され、先生が開いた人材育成塾のプロモーションを任せられる。

 

 

 

 

最初は、正直可能性が広がっていく自分に意識がついていかなくて苦しんだ。自分が人の元で修行しなくてはいけない意味、自分の言葉に落とし込めていないものをやる意味、自分が世界をみていかなければいけない意味。

 

 

 

これから、自分の体というか姿が何に変わっていくのかという分からないことや、これから何になるんだということへの恐怖があった。

 

 

 

しかし、ある動画を見て自分の意識が変わった。

 

陸上長距離世界最高峰のクラブチームで走る大迫傑さんの特集をみた。

www.youtube.com

 

 

 

彼が見る先は、日本のトップではなく、オリンピックトラック種目でメダルを取ること。

 

 

 

 

 

何故かは分からない。でも、すごく感じるところがあって、この人みたいに世界を見て走らないといけないと思うようになった。

 

 

井の中の蛙でも、多少目立つことはできるかもしれない。でも、本当の意味で自分が他人を導くことはできないし、結果は残せない。

 

だから、世界の中で修行して、自分が戦える力をつけたいと思った。

 

やることはたとえローカルでも、自分が見据えるフィールドはグローバルじゃないと結果は残せない。もっともっと、上にあがりたいと思った瞬間だった。

 

「自分が目立つ」というだけでなく、本気で社会を変えていくことで、自分を見てもらえるようになりたいと思った。

 

 

 

 

今年やり残しているコト

今、自分は来年6月まで計画を練って、もう一度高校生へ向けた事業を立ち上げたいと思っている。具体的にいうと、東北に住む高校生へ地域で輝くひとを伝えるメディアをつくりたいと思っている。 

 

なんとなく、ここまでは描けるが、作った先の10年の姿を未だに描けていない。

 

 

 

僕が2016年やり残していることはこの先10年間の自分の姿を創っていくことだ。

 

僕が30歳になるまでに何を達成していきたいのか、 30歳になったときにどんな大人になっていたいのか。

 

 

深く探求してみたい。

 

 

 

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信じていたことが、実は今の自分に合わなくなっていたりする。

自分はそうなると信じてやまなかったことが、自分でも知らないうちに興味を失っていたということがここ数年いくつかある。

 

思い浮かべているだけなら、思い続けることができる。フワフワと。

 

でも、自分が悩んでいることをノートにツラツラと書き記していくと、実はそれ自体には興味を失っていて、でも変わることが怖いからズルズルとそれを信じていると自分を騙しているということがある。

 

例えば、僕はアナウンサーという夢がそうだった。中学1年くらいのときに、地元の放送局のラジオ番組を聴いて、アナウンサーになりたいと思うようになった。たぶん、スポーツが特別できるわけでもなく、何か一芸があるわけでもない自分にとって、唯一報道系の仕事は向いてると思った。

 

社会のことを考えるのは好きだったし、自分が目立ちたいと思っていたから合っていた。そして、その曲のアナウンサーの人たちと一緒に働きたいと思った。

 

だから、中学を卒業するまでは、本当にアナウンサーになると思っていた。

 

でも、高校に入って現実を突きつけられる。成績は下から数える方が早く、これではアナウンサーになれないと思った。勉強は頑張れば、なんとかなると思ったから希望があったけど、中学のころ一緒にラジオのことを語っていた友達とも疎遠になり、部活も忙しくなり、番組も次第にあまり興味のないものに変わっていき、関心がなくなっていった。

 

正直、中学のころもアナウンサーになりたいという気持ちよりも、自分が聴いていた番組のアナウンサーと一緒に働きたいという一種のファン心理のような部分が強かった。だから、他局のアナウンサーになる気はそんなになかった。

 

その曲の番組を聴かなくなった高校2年当時、本心ではアナウンサーという目標はなかったんだと思う。でも、中学のときにみんなに言ったという思いや、今まであったものがなくなって何のために頑張ればいいのか分からないという思いがあって、中々手放せなかった。

 

それが、本当に解けたのは大学一年のときだった。別に、アナウンサーになって、ニュースを読みたいわけで、人前で話したいわけでもないんだと気づいた。

 

でも、地域で頑張っている人を伝えたいという想いはあって、それを自分が創っていくというのを考えたときに、アナウンサーになるよりも、自分でメディアを立ち上げる方が早いと思った。

 

そんなふうに、自分でも知らないうちに縛られて、気づいたら本心は離れているのに呪文のように唱え続けているものは少なくない。僕の場合、目標があるから頑張れる人間なので、今まであった目標を手放すことはとても怖い。

 

でも、違うと薄々感じているのに、わざわざそれを目標として信じ続けることも必要ない。それをなぜ好きになったのか。なぜ、それになりたいと思うようになったのか。自分が今好きなものは。

 

という問いかけをして、次の目標を入れていけばいい。

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