コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

基本に戻ることが実は一番難しい

今週、立て続けにミスを犯してしまい、かなり不調だった。同時に体調も崩れるし、メンタルも久しぶりに落ち込んだ。

 

やはり今の自分はやるべきことだけに集中したほうがいいんだろうか、今の環境が辛いと自分をネガティブに追い込んでいくような思考になっていた。でも、我に返ると、すべてが全て思い通りに行っていないわけではない。むしろ、そうやって自分が縛りをかけているだけ。

 

そして、きょう朝6時に起きてみてあるひとつのことに僕は気づいた

 

基本がなっていなかった。

 

 

どういうことかというと、年が明けてからの僕は起きるのは早くて朝8時、遅いと10時くらいに起きてくるというのがデフォルトになっていた。そのせいで、朝の準備もろくにできなかったり、大学の講義ギリギリに着いたり、仕事も1日で達成したいことをできずにいたりした。

 

 

元々夜遅くまで起き続けるのが苦手なタイプなので、必然的に一人で集中できる時間をつくるとなると朝になる。しかし、その朝の時間帯を潰してしまうと、それ以外は他人に左右されることが多いので、思うように進まないことが多い。しかも、夕方になってくると集中力も体力も落ちてくるので、いいや明日やろうとなってしまう。

 

そうして、ずるずるずるずるタスクを溜め込んでしまう。

 

 

でも、次々とやるべきタスクは差し迫ってくる。もっともっと、マルチタスクになって注意散漫になってしまう。

 

 

そうやって、負のスパイラルに陥っていた。

 

そして、朝6時に起きてみて、基本がなっていないからフラフラしてしまっていたことにやっと気づけた。

 

 

 

今朝思い出したことで、前にサッカーJ1広島の監督のドキュメンタリーを見たときに、逆境のときこそ基本に立ち返ると言っていた。

 

逆境のときに苦しくてそろそろ止まりたいという思いととにかく大きく何かを変えなければというふたつの思いが出てくる。苦しいときは1回止まってみてもいいかもしれない。そうして気づくのは、何かを大きく変えなくてもいい。でも、一つだけ基本に立ち返ろうということ。

 

しかし、実はその基本に立ち返ることが一番難しいということ。

 

これからも6時起きを続けて、ちょっと朝早くに仕事しようと思う。

あ、ぼく物欲がない。

2017年にやりたいことを書き出していて、僕はあまり物欲がないことに気づいた。

 

これといって欲しいものがない。

 

車が欲しいとも思わないし、高級なモノが欲しいとも思わない。オシャレができる服があれば満足だし、それらだって高級なものというよりは、アートな感じのものの方が好き。強いていえば、仕事に使うためのMac Bookと一眼レフカメラにこだわりたいくらい。

 

それ以外は家にいることも少ないから、ちょっとした家具があれば十分。

 

欲しいと思うものにはお金をかけたいと思うけど、世間的に高級と呼ばれるものには詰まるところ興味がない。あ、高くても絶対に欲しいものはある。たとえば、気仙沼ニッティングのような、作り手の想いが詰まったものはとても欲しい。

 

 

www.knitting.co.jp

 

結局、僕は何が欲しいんだろう。どんな生き方をしたいんだろう。

 

 

どこかに固定されて生きるというよりは、旅をするような生き方がしたい。リュックの中にMac Bookと一眼レフカメラを入れて、東北のいろんな地域にいる人に会いにいく。そのいろんな人を取材したい。地域や文化とともに生きる多くの人の生き方を見てみたい。

 

もしかしたら、物心ついた頃にメディアの仕事をやりたいと思うようになったのは、旅をするようにいろんな生き方を見たいと思ったからかもしれない。友達のどのグループにも入れた、でもどのグループにも定着できなかった。だから、いつも居場所が違った。

 

とある日はクラスでも目立ってる男子たちと野球をやったり校庭で走り回ったり、ある日は女の子たちと恋バナをしたり、とある日は図書室で友達と本を読んだり。誰といても楽しかった。だけど、特定の誰かとずっと一緒にいるのはあまりなかった。

 

そんな子どもの頃の性格が今に続いているのかもしれない。

 

 

 

もし、仙台に住む時が来たとしたらシェアハウスに住みたい。仙台に帰ってくると、自分のロードバイクでシェアハウスまで帰る。そうだ、自転車はちょっと高めのやつが欲しい。

 

 

シェアハウスに帰って、みんなと今日あったことなかったこと、お互いの未来の話とかを夜な夜な語りたい。お酒はとても弱いので、ほどほどに。だけど、ちょっとで幸せになれる。笑

 

自分の最後の砦みたいな壁は持っているけど、そのわりに寂しがり屋なので、シェアハウスに住みたい。

 

 

将来的に仙台に拠点を置くとして、オフィスはシェアオフィスがいいなぁと思う。最近、よくお世話になっているコワーキングスペースがあって、行くといろんな人に出会えて楽しいなぁと思う。そんなところで、仲間とメディアをつくって発信をする、集まってくる高校生たちとワクワクすることを考える。

 

ああ、やっぱり楽しいと思うことをやりたい。

 

 

あと、やっぱりお金をかけるなら美味しいものにお金をかけたいと思う。

みんなで食べるご飯はとても大好き。一人で食べるときはあまり気にしないけど、やっぱり他の誰かと食べるときには暖かい気持ちになりたいから、美味しいものを食べたい。

 

 

書いていて気づいたのだけど、たぶん僕はこの3年間くらいでギラギラした何かよりも暖かみのある自然なものが欲しくなったんだと思う。波長が会う人との繋がりだったり、経験だったり、想いが通じ合う瞬間だったり。

 

もちろん、自分には熱さはあると思うし、ギラギラした部分もあるし、お金も欲しい。でも、熱さっていう目で見てわかりやすいものの先にある、優しさみたいなものが本当に欲しいんだと思う。

 

 

人間、一つだけの側面を持った人間なんていないと思う。熱さとか優しさとか全てを含めて、人と通じ合える豊かな生活が僕は純粋にほしいなぁと思う。

 

改めて、そんな生活を得たい2017年。

結果を出せない時期に学べること

「木幡さんってそういう視点があって、俺とは違いますよね」と後輩と話していたときに言われた。

 

 

後輩と話していたときに、あるコミュニティで活動している高校生、大学生が結果を出せてなくない?という話を言われた。そのときに、僕は結果を出せていなくてもいいんじゃないかなという話をした。

 

生ぬるいと思われるかもしれないけど、僕はそう思うんだ。

 

僕がそう思うのは、自分自身が大学に入ってから数多くの「しょっぱい」経験をしてきて、それでもいろんな人に助けてもらったからだし、たとえ結果を出せなくてもその時の経験に意味があると思うからだ。

 

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安心できる空間をつくっておくこと

結果だけを追い求めるようになってくると、次第に自分が縛られていることに気づく。

 

仕事をする上で結果や成果というのは大事だし、自分がやりたいことを創っていくためには、やはり結果を残さないといけないのは事実だと思う。しかし、結果だけを求めていくと、初めはこうなりたいと思っていたものもだんだんと、こうでなければならないという縛りに変わってくる。

 

そのことを僕は2016年の年末に感じた。

 

 

特に意識をしていたわけではないんだけど、11月末から12月中旬にかけていつも仕事関係で顔を合わせている人たち以外と会わなくなった。強いて言えば、大学で授業を受けるときに一緒に受ける人たちと話したくらいだった。

 

いろいろと大変なこともあったので、1ヶ月間誰とも会わなかったことは「気づけば、そうだった」という感じだった。結果を残すために、という思いがあってフル回転で動いているときはかなり気持ちがいいんだけど、疲れてきたときに「なんのために動いてるんだろう」という結果を追い求める気持ちよりも、感情が前に出てくる。こうありたいという気持ちだったはずが、いつのまにかこうでなければならないという呪いになる。

 

そのときに、誰に頼っていいんだろう、という気持ちに駆られる。

 

 

あまりに、仕事、仕事と自分をストイックに追い込みすぎてもよくない。たまには、自分が安心できる、ニュートラルになれる人たちといたほうがいい。

 

 

僕自身は周りからも分かるほど、オンとオフの差が激しい。あまり親しくない人は、僕がバリバリ働いてる人というイメージを抱くかもしれない。でも、それはオンのときの僕であって、オフのときの僕ではない。オフのときは、一人でというよりも、誰かと一緒に過ごしたいという気持ちがあるし、誰かに相談にのってもらったり、誰かに頼りたいという気持ちもある。

 

去年は周りの環境に慣れるのが大変で、余計なものは排除しようというドライな気持ちになりすぎた傾向があったけど、今年は少し余裕をもって自分が楽しくなることや安心できる空間、環境をつくっていけるようにしたい。

 

きのうは、たまに会うととても楽しくて安心できる人たちと夜な夜な飲みながら喋ってた。お互い、いろんな方面に進んで会える機会が少なくなってきているけど、恋愛の話をしたり、真剣な話もしたり、自分のなかでリセットできる時間だった。

 

 

 

今年は自分のオンの環境がよりよくなっていくように、オフの環境もいろんな人と出会ったり、いろんなものに出会ったりして豊かにしていきたい。

 

 

すばやく動く自分とまったりとする自分をしっかりと考えながらつくっていきたい。

 

新しい、を創る年へ

あけましておめでとうございます。
 
 
2017年が始まって3日目です。
僕はというと、元旦からニューイヤー駅伝箱根駅伝と走る人たちを見ながらこたつで餅を食べながら過ごしてました。
 
ちなみに、年末に体調を崩したので、約1週間家に引きこもりです。当然、太りました。
 
ところで、昨年はというと「今年は大学3年生になるからやったるぞ!」とばかりに、元旦にメッセージVTRを撮影したり、神社で大吉を引いて絶対にいける!とでっかく出ましたが、1年過ごしてみるとなかなか思い通りではない時期でした。失敗したり、思うように身動きが取れなかったり、突然前が見えなくなって、後半は持ち直しましたが、自分の情熱が少し消えかけました。思い通りではないし、混沌としていたし、不本意といえば不本意な1年だったのかもしれません。
 
ただし、混沌とした2016年という時間を過ごしたからこそ余計なものが剥がれ、自分の気持ちが整ったような気もします。自分の言葉が出なくなったからこそ、もう一度リセットして、今の自分に向き合えている気もします。
 
簡単にいうと、洗濯機の中で洗われた1年だったのかもしれません。笑
 
 
さて、そんな目が回るような1年を越えて、2017年がやってきました。
 
僕は今年を「情熱の年」にしていきたいと思っています。
 
4月からは大学4年生になり、大学は「地域創生学類」が始まり、研究室としても3年生が入ってきます。スポーツのように何か大会があるわけではないですが、まちづくりをやりたいと思っている同じ大学の子たちにとってロールモデルになるような結果を残していきたいと思います。
 
 
また、僕自身としても今までやりたいと思い続けてきた「東北で活動する人を伝えるメディア」をアクションにしていきたいと思います。今までの一人で取り組む形から、仲間と一緒に旗を立てていくような挑戦をしていきたいです。
 
 
ちなみに、箱根駅伝を見ながら、4年生になるってどういうことなんだろうと考えていました。
 
僕は「新しいことを創っていくこと」が4年生になることなんじゃないかと思ったんです。
 
 
僕は、今までやってきたことの延長線上、まとめの作業が4年生になってからのことだと思っていました。
 
 
実は、違うのかも。
 
今までは、ある意味前を走る先輩におんぶに抱っこでやってこれた。見よう見真似でやってこれた。
 
でも、最後の年になるというのは、自分よりも前がいない分自分自身のものを創り出さないと、以前よりも越えたとは言えないんだと思うんです。
 
ある意味、卒論だってまとめの作業というよりは、新しい解を出すことです。
 
 
僕が思うに、純粋なインプットも、アウトプットも、またはいい結果も、振るわない結果もすべて3年間のものは自分自身の中に貯めてきたものだと思うんです。材料集めみたいな。
 
 
 
その集めてきた材料で何の料理するのさ?っていうのが、大学4年になってからの挑戦だと思います。
 
 
話がずれましたが、箱根駅伝を見ていて、3連覇を果たした青山学院がなんで3年連続で優勝できたんだろうって考えたときに、いい意味で前の年のものをぶち壊してこれたから達成できたんだと思います。
 
毎年見ていて、チームの色が違う感じがするんです。
 
 
自分たちの色を自分たちの手で創り上げてきたからこそ、前の年を越え続けているんだと思うんです。
 
 
僕自身、大学1年の頃からいろんな経験をさせてもらいました。やっぱり、そういうのって自分自身がってだけではなくて、前を行く人たちのおかげあって経験させてもらってきたことばかりだと思います。振り返ってみると。
 
 
今、思い返すとキツいなぁと思う経験は「仲間」に関することが大学に入ってからは多かったです。ある意味、そこを越えていくのも今年やることなのかもしれないです。
 
そういった、今まで経験して集めてきた材料を持って、新しいものを情熱的に創っていく年にしたいと思います。

2016年の振り返り

今年が終わる。

 

混沌としていた。

 

良いとか悪いとかではない。

 

成長できたことも、楽しいと思ったことも、どうして動かないんだろうともどかしいと思ったことも、嫌だと思ったこともそれぞれある。

 

しかし、その混沌があったからこそ、混沌を乗り越えて、自分を整えた年でもあった。

 

人との別れ、人と通じ合う、いろんな経験をしたからこそ、人に優しくなりたいと思うようになったし、誰かとともに進むことの素晴らしさを学んだ。

 

一人で進んでいた頃なら、気ままに動いていたけど、そうじゃなくなったから戻ってきた軸があった。

 

混沌を超えて、見えたものがあった。

 

2017年は、2016年に作ってきた自分の感覚を使って進んでいく年にしたいです。

 

今年もありがとうございました。

人を切り捨てていたのは自分に自信がなかったから

この人は価値観が違ってきたな。この人のこの話に影響されたくない。
 
そうやって、昔から他人を切り捨ててきた。
 
 
聞こえが良く言えば、自分の価値観がはっきりしているとも言える。でも、違う。
 
 
今まで、自分がいろんなことに巻き込まれたくないから違うと思うと人を遠ざけるようにしていた。余計に、今年は仕事関連でコミュニティを整理整頓をしたので、いつもより敏感になった。
 
 
 
もともと、僕自身が仕事をする上でレベルが違うと思うと切り捨てるタイプの人間だった。この人とは一緒にプロジェクトは回せないなとか、仕事を任せるというプロセスが面倒だから自分でなんでもやったほうが楽、馴れ合いが好きではない。
 
 
成果・目標を設定したら、そこに向かってプロジェクトを回したいと思うから、躊躇したり、自分にはできないという理由で立ち止まる人たちの気持ちが理解できず、この人たちは自分と違うんだなと思って遠ざけていた。
 
今でも少しこういう癖はある。
 
 
 
ただ、そうやって過ごしてきて思ったことがある。
 
 
 
『本当に人を切り捨てる必要ってあるのだろうか?』
 
 
 
 
いつも顔を合わせる人以外に会わなくなってみて、初めて気づいた。人が離れていくことに。
 
孤独や孤高が悪いとは思わないし、自分の価値観を持って生きること自体は良いことだと思う。うまく説明できないけど、孤高と人を避けることは違う気がする。
 
 
 
もちろん、自分が集中するための時間や自分のペースを守る時間は必要だと思う。
 
 
 
でも、相手の嫌なところを見たからといって、すぐにジャッジしてしまうことは一見良いようで、良くないことなのかなと思う。
 
 
自分のペースを壊されたくないから、自分のスペースに入ってこられるのが嫌だったし、自分のスペースから出ていくのがとても嫌だった。社交的なようで、実はそう。
 
 
相手を切り捨てるというのは、暗に「僕は弱いです。だから、あなたに影響されるのは嫌いなんです。」と言ってるようなもの。それって、結局自分の価値観がしっかりしているようで、実はしっかりしていない。
 
 
 
本当にしっかりしているというのは、いろんなものが数ある中で、そのいろんなものを取り入れながらも自分の軸がぶれないことを言うんじゃないかなと思った。
 
 
どんな人と接したって、僕は僕だと思う。その子の気になるところがあるなら、伝えてあげればいいし、ある日突然いなくなるような切り捨て方をしなくてもいいんだと思う。
 
 
 
ある意味、そんなやり方でこれまでいろんな人を失ってきた。
 
 
それだからこそ、自分がここまでこれたということも言えていると思う。
 
 
 
でも、不必要に人を傷つける必要もないと思う。
 
 
 
 
少し余裕が出てきて、周りをみて初めて感じた寂しさだった。
 
そのとき、初めて人を好きになれるようになりたいと思った。
 
 
 
 
なんというか、本当に強かったら、人のことをとやかく思う必要なんてないんだと思う。
自分が弱いから、人をこうだとかああだとか思って、近づけないように遮断して。
 
 
自分が仕事にまっしぐらな時はそれでいいんだと思う。
力を入れて進んでいるときは。
 
構う暇なんかないんだって。
 
 
 
でも、ふっと力を緩めて自分が周りを見渡してゆっくりしたいときもある。
そのときに、思うんだ。仕事のためだけに、人間関係があるわけではないんだって。
 
いろんな関係があっていいんじゃないかって。
 
 
 
だから、思った。もうちょっと、開いてみてもいいんじゃないか。
 
 
 
ずっと走っていても、疲れてしまう。少し緩ませることもしないと生きていけない。
 
 
蛇足するけど、陸上長距離をやっていたときのことを思い出した。練習では、自分のペースを作れるんだ。
設定通り、一定のペースを保てるんだ。
 
でも、レースになると自分のペースはなかなか作れなくなる。
 
つまり、強さってこういうことなんじゃないかな。
 
自分だけの空間で自分のペースを作るなんて簡単で。
 
集団のなかで揉まれても、結果的に自分のペースを作っていける人が本当に強いんじゃないかな。
 
 
誰とでも、0か100か、白か黒かじゃない、ちょうどいい距離感っていうのがあるんだと思う。
それをゆっくりゆっくり創っていけたらいいのになって思う。
 
 
 
 
今までは、部屋の中でひとり閉じこもるような感じで過ごしていたけど、これからはみんなの中に混じってその中で自分の色を出したいなって思った最近。
 
 
 
今までは、人から好きになられたい、注目されたいと思っていたけど、初めて自分から人を好きになりたいと思った。
 
 
 
 
 
いろんなところに行ってみたい。
 
 
 
 
もうちょっとみんなの中にいたい。