コハタのコトバ

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コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

〜木幡真人を語る『20』のキーワード〜【vol.2】なぜリーダーで居続けるのか

こんにちは。

 

最近、知ったことなのですが、どうやら僕の誕生日9月27日が十五夜のようです。

 

とはいえ、月には帰りません。(帰る話でもないけどw)

みたらしだんごwww.flickr.com

 

きょうはその月に帰るストーリーではなく、木幡真人が木幡真人たる所以である20のキーワードについて話します。

 

きのうはこの記事を書きました。

kohatanokotoba.hatenablog.com

 

きょうは、『【vol.2】なぜリーダーで居続けるのか』を書きます。

 

ちなみに、ラインナップのおさらいはあとでやりましょう!

 

 

物心ついたときには既に上の立場だった

僕が一番最初に記憶にあるのはだいたい3歳くらいのときです。

 

その頃に今17歳の妹が生まれました。

 

それからというもの、妹が機嫌が悪いと本気で噛まれたり(まるで猫とか犬のようですね。)、叩かれたり、兄としてなかなか辛い立場ですよね笑。

 

まぁ、兄だからどうとか、こうでなくてはいけないということは親から強要されたことはありませんでしたが、どこかには一番上という責任感のような意識がありました。

 

マトリョーシカ。

www.flickr.com

だから、親の手伝いもわりと率先してやっていたし、妹の面倒も見きれる限りはやっていました。それも含めて、強要はされなかったけど、行動をするチャンスのようなものは必然的に僕に来ていました。

 

 

褒められる高揚感

小学生の頃まではなんとなく自分はクラスの中でもリーダータイプの人間なんだろうな(今でいうリーダーとかNo.2ということではなく、クラスで目立つ優等生はみなリーダーという感覚)という感覚は思っていましたが、必ずしも全ての機会でリーダーをやっていたわけではないし、学習発表会とかは主役というよりナレーターがほとんどでした。

 

でも、僕のじいちゃんやばあちゃんは、僕が1番になれるものであれば、とても褒めてくれたし、それを周りの家のひとたちにまで自慢するほどに嬉しがっていました。

 

Start!www.flickr.com

例えば、僕はある程度脚が速かったので運動会でリレーで活躍すると、必ず嬉しがっていました。

 

その他にも、テストでは高得点を取ることが普通だったし、きのうも書いた通り、自分からこういうことをやって巻き込んでいくこと自体はすきでした。

 

ただやっぱり、いまほど自分がリーダーで中心にいたいという気持ちは強くなかったかもしれません(それでも、周りの子から比べれば強かったとは思うけど)

 

服従することに対する苦しさや辛さ

 

小学校のころを振り返ると今ほど辛いことはなかったかもしれませんが、人一倍早く大人になりたいという思いはあったと思います。

 

僕の家はじいちゃんがすごい人とはいえ、父はサラリーマンで特に裕福というわけでもありません。

Typhoon girlwww.flickr.com

 

実情は本当のことを知らないとなんとも言えませんが、むしろ低所得なほうかもしれません。

 

そういう中で、周りの子たちがゲームを買ってもらったり、 好きなところに連れて行ってもらえたり、十分に小遣いをもらえるというなかで、僕は親から買ってもらえなかった。あと、母親が身体が弱かったせいもあって、授業参観の日に他の子の親が来ている一方で、僕の家は誰も来ていなかったり、運動会も来ていなかったり、周りと違うことが多かった。それが嫌でした。

 

ただし、それが今も嫌かといえば、そうではないです。親のことはとても尊敬しているし、ゲームを買い与えてくれなかった代わりに、自分が欲しいものは自分で掴み取っていくという力をくれました。

 

というわけで、僕は早く大人になって稼ぎたかったし、もしできることなら株などもやってみたかった(結局、始めなかったけど)

 

Cash Money | Dinero | 金钱 | Argent | Soldi | お金 | Dinheiro | деньги | Geldwww.flickr.com

ただ、忍耐力がない僕は、じいちゃんやばあちゃんが小遣いをくれることは知っていたので、これが欲しいと言っては必要な額をもらっていました。笑

 

ただ、やっぱりこういうのも相手を説得しなければもらえないというのは学んだかもしれません。

 

中学校に入ると、僕は野球部に入りました。

 

ただ、そこの顧問の先生がとても厳しくて、毎回毎回怒鳴るような人で本当に練習が嫌でした。(普段接してる分にはとても良い人だったのですが)

 

僕がいた中学校ってグラウンドの横に裏坂と言って、表の校門とは逆の学校に行く道があったのですが、その先生が練習の時に毎日表の玄関のほうから車で来るんですよね(今考えたら、あの短い距離をなんで車なんだろう)

 

その瞬間が本当に表現はキツイですが、奴隷になったような気分でした。

 

Oreo Cheesecake Bars / 奧利奧芝士蛋糕棒www.flickr.com

それが嫌で僕は部活もいかなくなったし、学校も行きたくなくなった。

 

その後、新聞を立ち上げた部活に行き、次にバレーボール部にも行くんですが、そのときも先生が感情的な人でやりにくかったなーというのは覚えてます(その先生も普段は接しやすいひとなんですけどね)

 

高校のときも、中学ほどではなかったけど、陸上部にいた2年間、先生に気を遣わなきゃいけない感じ、馴染めない人といて気を遣う感じが漂っていました。僕のなかで。

 

それが、3年の春に軋轢として見えたのかなって思います。

赤い靴www.flickr.com

 

でも、やっぱり6年間を振り返ると決して僕は運動部が嫌いというわけではないです。だって、中3のときにやった陸上や駅伝はとても好きだった思い出があります。

 

それはやっぱり、先生が自由にやらせてくれたことと、キャプテンとして動いたことです。

 

自分の人生を振り返ってみると、本当に他人に服従することは好きじゃないなーと思いますね(自分が同意した上で、頼まれるのは好きですが)

 

ビジョンを見せる力がある

 

自分はよくいろんな人から、木幡はビジョンをつくれる人間だよねという言葉をもらうんですが、これもいつとなく経験のなかで生まれてきました。

 

これは、おそらくリーダーをする経験、人を説得する経験、感受性の豊かさからくる理想像を描く自分(それって妄想ってことかな)、先天的なものすべてが重なって発揮しているものだと思います。

 

リーダーをするなかで、必ずしも上手くいった経験だけではないです。むしろ、自分のなかで上手くいっていると思っているのはこの最近です。それまでの19年半でやったリーダー経験はむしろビジョンを見せられていません。

 

Junk notewww.flickr.com

中2のときに先生に推薦され学級委員をやったのですが、こうしたいというビジョンがなくて批判を浴びました。

 

くじらステーションを立ち上げたときもたいしてこうしたいというのがなかったから、リーダーとしては失格だった。

 

そういうことや、さっき言った誰かを説得するということを多く学んだ経験、僕はけっこう感受性が豊かで嬉しいことも辛いこともあるんですが、そこから浮かび上がってくるイメージみたいなのが頭の中で描かれています。

 

そういう経験則が集まって、今ビジョンを描くリーダーになっているのかもしれません。

 

やっぱり、母親やじいちゃんの影響

 

きのうも書きましたが、これも母親の構想力、じいちゃんの最初に言いだしていく力が遺伝として入っているのかなぁと思います。

 

これからは、もっと突き抜けた東北のリーダーになっていきますよ!

 

明日は【vol.3】女の子っぽい理由を書きます!

 

大文字草’口紅’ Daimonji-so 'Kuchibeni'www.flickr.com

ーーー

 

ラインナップ

  1. なぜ新しいものを『企てる』ことが好きなのか
  2. なぜリーダーで居続けるのか
  3. 女の子っぽい理由
  4. 身長が低いことで得た1つの大きなこと
  5. 木幡真人が『東北』にこだわる理由
  6. なぜ子供のころから社会に目をむけてきたのか
  7. なぜ彼はアナウンサーを目指したのか
  8. なぜ『人』に注目するのか
  9. 一貫して『伝える』ことにこだわる理由
  10. なぜ『朝方』にこだわるのか
  11. なぜロールモデルが大事だと思うのか
  12. 『協調』することを大事にする理由
  13. 『新幹線』と『旅』が好きになった理由
  14. なぜ彼は変えることに挑むのか
  15. 挫折から得たものとは
  16. なぜ『人のため』になりたいのか
  17. なぜ走ることが好きなのか
  18. お金が好きな理由
  19. なぜ目立ちたくてナルシストなのか
  20. なぜ高校生を巻き込むのか