最近、いろんなところで『メンター』という言葉について話をする。
一方で、『ロールモデル』という言葉についても話をする。
この2つの違い。なんだろうか。
先を行くという意味では共通しているが、前者はニュアンスでいうと教育者、伴走者という感じで後者は活躍をして背中で見せるタイプの人間。
もっぱら、僕らは高校生のマイプロジェクトのことについてこの2つの言葉を使っているのだけど、東北にはいまメンターが多いという。
たしかにそうかもしれない。
僕の知っている人たちだけでも、僕自身もそうだし、気仙沼の底上げという団体や石巻のイトナブなどもそうだ。
ふろぷろの最終審査会
でも、もしかしたら高校生を支援するメンターと、ひたむきに自分の目的に向かって走り続けるロールモデルの境が僕はなくなるんじゃないかと思っている。
前にこんな記事を紹介されて、読んでみた。
以前から、おそらくこのままいまの状態が続くとノマドワーカーが増えるだろうなーと感じていたがそれを意見する人も多くなってきたなーと確信した。
やっぱり、ソーシャルアクション・マイプロジェクト界隈を見ていてもそうだ。以前は、みんなで集まってプロジェクトをたちあげよう!なんて言っていたけど、最近はひとりで好きなことを考えて立ち上げて、必要があれば他のプロジェクトをする子と組んでコラボしようかなって考えている子が多い。
僕自身もそれに近い、最近はカフェで作業をすることのほうがずっと多くなった。
スタバでバイトしてる同じ学科の子にあって書いてもらった!!!
僕の見ているところからいうと、地域はひとりひとりが活躍するところから良くなっていくと思う。
そう考えた時に、ひとりひとりがリーダーになることが必須になってくる。
そうなると、マイプロジェクトの必要性がみえてくる。
おそらく、会社や組織という形は残るが、それもプロジェクトチームごとで、ようは個人が重要になってくる。
未来の地域を担っていく高校生ひとりひとりがいまできるプロジェクトを起こす必要が有る。
まぁ勉強ができれば会社就職できるしーなんて言えてる時代は終わるのかもしれない。
マイプロジェクトはやがてノマドワーカーという形になるという話をしてきたが、ノマドワーカーってなんだろうという話をしようと思う。
ノマドワーカーは主にフリーランスがそう呼ばれている。拠点や事務所を持たずに、カフェなどでMac Book Airをカタカタ。
フリーランスだけではないが、その人たちがなぜそれができるかといえば『手に職』を持っているから。
手に職ってなんですかねーっていうと自分がそのスキルを極めて『職人』になっているから、誰にも雇われることなく(会社に所属していても、スキルや目的意識としてのリーダーシップを発揮していればそれは個で動けていることになる)生きている。
『職人』という世界を見た時に、僕は伝統工芸とか第1次産業をイメージするのだけど、そこには教育だけをする人がいるだろうか?
もちろん、ある程度身体が動かなくなった人は引退してメンターになるのだけど、大抵の人は自分がものを作り続けながら、後継者を育てる。
僕は小さい頃から農家を営む人たちを見てきていてそんなことを感じる。
おそらく、マイプロジェクトが行き着く先はこんな感じだろう。
だから、今はメンターに徹しているひとと、ロールモデルに分かれているんだけど、将来的にはロールモデル(職人)がたくさん生まれて、地域全体のみんなでちょっとずつ子どもに手をかけて育てていくということが起きるんじゃないかと思う。
ここから先はコミュニティ論みたいな部分も入ってくるのだけど、ひとりひとりが活躍していく先に、村社会的な小さい単位のコミュニティがたっくさん!できることになる。なぜなら、ひとりひとりが大きくなることで、トップが統括しきれなくなるから。
そう考えた時に、昔の社会ってその家だけで子どもを育てるんじゃなくて、地域社会全体が子どもに手をかけるというのがあった。それが上のロールモデルがたくさんできて…の件とリンクする。
東北は農業や漁業、林業、伝統工芸が盛んだ。そういうことを考えると、会社的に大規模な組織を築くというのは、文化的にあまりないのではないかと思う。ひとりひとりが重要になっていくのは昔から根付いている。しかも、そういうのって他人と協力するときはプロジェクト単位で行われる(田植え、稲刈りなどなど)。
たぶん、そういう文化が根付いているから、東北は個が活躍できる潜在的な可能性があり、協調性がある人たちなんだと思う。
僕がマイプロジェクト・ソーシャルアクションが東北から盛んになっていくだろうと思うのはそういうこと。