コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

マイプロジェクトのオリンピック競技化。僕が『想いが大事なんだ』と語る理由とは

こんにちは。
 
東北ソーシャルアクションエンジンの設立発表から2日。まだまだアップが終わって、選手コールを受けたくらいでレースはここから。スタートラインにもついていない。気を抜かず、一歩一歩確実に駆け抜けていきます。
 
やっぱり、その根本は僕たち自身が大好きなことをしていくことですね^^
 
さて、今日から3日間東京では認定NPO法人カタリバが開催する高校生カイギが行われています。
 
僕も明後日横浜で私用があり、友達の千葉くんからも22日に来なよ!!!と誘ってもらえたのであしたオリンピックセンターに行ってきます!!!
 
東北でも山形県にある東北芸術工科大学で10月10日〜12日の3日間に開催される予定で、まだ2次募集をしているということなので東北の高校生よ!参加しませう!
そして、きょうはその話にまつわる話をしていこうと思います。
 
僕は東北ソーシャルアクションエンジンの設立を発表した記事でも書きましたが、おそらくここから10年で大勢の人々がソーシャルアクション・マイプロジェクトを起こす時代はやってきます。
 
多かれ少なかれ、極端な話「僕らがやらなくても」その時代はやってきます。
 
では、なぜ僕らがやる必要があるのか。
 
それは少し、僕が描く将来像のハッピーエンドとバッドエンドの両方を語る必要があります。
 
そもそも、なぜソーシャルアクションが広まっていくのか。それは、時代背景として企業や何がしかの組織ブランドというもので語れる時代ではなくなってきている。そして、多様な生き方が生まれてきた今、やがて行き着くのは『個人』の数だけブランドがある時代になります。そのときに自分が『何をやって生きている人か』というのは本当に重要になってきます。
これは大多数が語る、ブランドを持つということや戦略的な話ですが、僕は本来人間というのは生まれてきた以上『生きる意味』を自分で探し、掴んでいくものだと思うんです。
 
その理想形が、自分自身に追うものがあって、誰かに服従したり、逆に従えるのではなく『個人』というリーダーシップを発揮した生き方だと思うんです。
 
この時代、それがどんな生き方であれ可能になってきています。情報が容易に掴め、ネットで仕事を作っていける、どこにいたって仕事ができる。
 
さらに、政治的な方針の話で言えば『地方創生』『教育改革』の文脈で若い人たちが地域社会でロールモデルを見て、自分達でもアクションを起こしていくことは確実に出てきます。
 
地方創生をするためには地域毎の色を出すということですから、それは人ひとりひとりが色を出していくということになる。そうなると、未来を担っていく若い人たちが自分達で創り出していくということも必要になる。いわば、新陳代謝が活発化するということですね。
 
『教育改革』では大学入試が人物総合評価型になりますから、学校の勉強の成績だけでなく、課外活動などの内容なども評価に入ってくる。
 
おそらく、そういう中でソーシャルアクションは(良いのか悪いのかは分かりませんが)広がっていきます。
もちろん、僕はハッピーエンドで人間が人らしく生きる『自分自身の目的を追い、他人や自然と共生するような暮らしができる。』という形をつくりたいです。
 
それがやがて、地域が良くなり、全体が良くなっていくということに繋がります。それが大人から若い人へ繋げ、融合していく場を創っていくのが僕達です。
 
マイプロジェクト・ソーシャルアクションを高校生が起こすというのは、サッカーでいえばU-18日本代表やJリーグのチームのユースチームのようなものなんですね。
 
その地域が持続的に循環していくためには、次の世代が前を見て、育っていく環境があると良い。
 
サッカーも一緒ですね。日本代表がもっと強くなり、それが持続的に…。このチームがJ1で優勝するチームになる、強豪で居続ける。それをどこからか探し、見つけてきて急に良くならせるよりも、自分達で育てようとなるのは自然な発想です。

https://instagram.com/p/71uMMJH1fY/

殊、地域というのは勝負事じゃなくて、その地域のものはその地域で循環していくのが理想ですから、そうです。
 
そして、回りくどく話してしまいましたが、僕がこの活動をやろうと決めた時から大事にしていることがあります。
 
それは『スキル』よりも『想い』が大事であると。
 
僕が何度も言いますが、高校生がプロジェクトを立ち上げるのは今ここで結果を残していくことが大事なのではなくて、未来の地域を担っていくために今地域社会で自分ができるアクションを起こしてみることが大事なんです。結果なんて関係ない。
 
今までは単純にスキルだけで生きる人間と想いを持った人間どちらが好きかという判断で、想いを持った人間の方が好きだからという気持ちで『想いが大切なんだ』と言ってきました。
 
でも、最近想うことがあります。
このまま高校生の育成にみんなが力を入れていった先に、マイプロジェクトのスポーツ競技化、日本におけるオリンピック事情に似た現象が起きると思っています。
 
日本のスポーツを見ていると、ユース・ジュニアチームの世界ランクが非常に高かったり、U-18ワールドカップで優勝の常連という競技は何個もあります。
 
僕は陸上競技をやっていたのでなんとなく知っているのですが、中学・高校時代に100mで世界大会銀メダル・銅メダルを獲得したとか5000mのユニバーシアードで世界何位とか日本ってユースまでは本当に強いんですよ。
 
でも、その後が何故か伸びない。それこそ、男子100mには10秒00の壁があったり、マラソン界もアフリカ勢の高速化に対応できないまま日本記録の更新すら長年遠のいています。中学・高校時代に栄華を誇り、オリンピックでメダルから遠のいていく競技がいったい何個あるでしょうか。
 
野球だって世界ではないにしても、甲子園の優勝投手がプロ野球では活躍できないというジンクスがあるほどです。この例を挙げるのは酷ですが、日本ハム斎藤佑樹投手を見れば歴然としています。
 
この理由は大きく二つに分けることができます。若い成長期に身体を酷使したせいで選手生命を短くしてしまうということと、精神的に追いつかない時期に世界の頂点を取ったという「燃え尽き症候群」から来るものです。
ただ、この2つの理由もひとつに僕はまとめることができると思います。一言で言えば『器を超えた』ことをしているということです。
 
では、それはなぜ起きるのか。
 
それは、僕個人としては指導者が選手の想いの有無にかかわらず、結果を追い求め過ぎているというところにあると思います。語弊がないように、断りを入れますが、もちろんみんながみんなこれというわけではありません。野球でも甲子園を目指し頑張る姿はとても魅力的なものだと思いますし、箱根駅伝高校駅伝、高校サッカーを見ていても選手の活躍する様はかっこいいと思います。
 
ただ、そこには選手が楽しめない現状があるのに、結果だけを求めているケースもあるという現実を見なければなりません。
 
三浦しをんさんが書かれた『風が強く吹いている』という箱根駅伝を舞台にした小説がありますが、主人公は仙台の強豪校で駅伝のエースでした。彼はある日、部室で監督が怪我をして選手生命が絶たれそうな子に『もうだめだ。』と告げるシーンを見ます。そして、『なぜ監督に操られるように、部品になるようにして動かなければいけないんだろう』とそれまで疑問に思ってきた感情がそこで噴出し、監督を衝動的に殴り退部になる。そして、一度はスポーツエリートからは遠のき、入った大学で偶然の出会いから寄せ集めのメンバーで箱根駅伝を目指すことになり、『なぜ走るのか』という哲学的な命題に対して答えを出していこうとするんですね。
風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

 

 

これは小説ですが、毎年箱根駅伝の時期になったり、野球でも甲子園の時期になると、教育とスポーツについてスポーツジャーナリストが書く記事は多く出てきます。
 
僕は断言して、マイプロジェクトにおいてもこのような事態は起きてきます。絶対にこのような弊害は起きてきます。
 
マイプロジェクトを行う高校生がいて、現時点でメンターが各地にいます。そして、高校生起業家を育成するものや高校生を対象としたピッチイベント、アワードが今出始めています。
 
このときに志あるメンターであれば、結果だけを追い求めるのではなく、高校生たちの想いや将来というものを大事にすると思います。
 
しかし、世の中『期待』という感情は大きいもので、結果を出して欲しいという思いは募ってきます。世界的なスティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグのような起業家を日本から生み出そうとする動きも起こると思います。(既に大人の中では生まれていますが)
 
そうなったときに、プロジェクトを行う本人のモチベーションや想いとは裏腹に結果を出せばそれでいいという風潮が生まれなくもないと思います。
 
ですから、伴走者の意味を履き違えてはいけません。本来、自転車は補助輪があるときよりも、自分自身で漕ぐときのほうが気持ちいいのと一緒で、自分の力で進んでいる!と思えるほうがいいんです。転んだって、また起き上がって走り出して、やっと自分で走り続けられたときに本当に嬉しさが込み上げるんです。
「上手くやるために、伴走をする」のではなく、転んだときに気づきを得る、振り返るためにメンターはいるのです。気持ちがある子は伴走者なんかいなくても、上手くなりたいと思って習得していきます。だから、必要以上のレクチャーは要らないと僕は思っています。
 
それで。なぜ僕らが想いをもってソーシャルアクションを起こしていくというところにこだわるかというと、僕の経験上、立ち上げてそのあと続かなくて潰れてもいいんです。転んでもいいんです。
 
なんのための経験ですか?それは大人になってそこから続いていく人生において自分の魅力を出して生きていけるようにです。勝負じゃないんです。
 
立ち上げて、潰れたとしても、そこで気づきを得ることができればそれでいいんです。例え、誰かの力でいい結果を出せたとしても、それが将来本当にひとりでやっていかなければいけなくなったとき、自転車は運転することができなくて複雑骨折を起こしてしまいますね。
 
また、自分が気持ちが乗らないのに、指導者が「これで優勝するぞ!」って言ってるから頑張ったとして、それはのちに燃え尽き症候群を起こすと思います。
 
自分自身が大好きでやっていたら、難しいと思える壁があるからこそ次のイメージをしていけるんです。
僕が、『想い』をもって、まず一歩踏み出してみるだけでいい。そのあとは続かなくてもいいんだって思うところはそういうところなんです。
 
自分の『想い』を持って進んでいける人間はもっと進んでいけばいいし、まずは小さいことから始める人間がいてもいい。
 
そういう『想い』を伸ばしていくことがやがて個の色が出て、全体が綺麗な絵になっていくと僕は信じています。