最近、改めて僕は何者なんだろうという想いというか考えが強くなって。
プロフィールに書いてるような肩書きなら単純に出せる。あるときは団体の代表、あるときは大学生、あるときは…。
でも、根底にあるのは一人の人間としての動きであったり、考え方であったり。どんな存在?というのは、肩書きでは語れないと思う。
最近ひとりになると悩むことが多く(いや、前からか笑)、あとになってみるとちっぽけだなぁなんて思うけど、悩むって言葉にできていないからこそ悩む。
これがなかなか厄介だなぁと思うのが、人間弱いもので肩書きがあるとそこに頼りがちになってしまう。
肩書きは必要なんだけど、本人の視界がそこだけになってしまうと結局自分の熱が冷めてくる。
結論を先に出すと、自己分析の甲斐がなくなるので、ちょっと小学生時代の話をしたいと思います。
スポーツアナウンサーになりたかった中学1年〜2年
アナウンサーになりたいという夢を持ったのは今まで中2のときにラジオを聴いてと喋ってきたんですが、間違いではないけど、実際のところちょっと違ってて。
小学3年生くらいから、母親が地元のラジオ局の番組を家事をしているときに聴いていてその話を聞かされていて聞くようになりました。
最初はなんとなくパーソナリティーの名前を知ってたくらいでしたが、それでもなんとなくは知ってました。
小学校4年〜5年のときは自動車のエンジニアになりたいと思っていたし、小学校6年はプロ野球選手になりたいと思ってたので、いつからはっきりとアナウンサーになりたいと思ったかは憶えていません。
でも、当時一緒にいた友達も少なからず変ではあったなと思っていて、なぜならその子もラジオを聴いていて。
中学1年のときに野球部に入ったけど、夏休みに辞めたのでプロ野球選手になる夢はなくなった。
それで、当時聴いていたラジオにはまってアナウンサーになりたいと思うようになる。最初はどちらかというとスポーツアナウンサーになりたかった。
そのときの理由は単純で野球に関われるから。野球部は辞めたけど、野球を遊び程度でやったり見たりすることは相変わらず好きだったので、スポーツアナウンサーとして関わりたいなぁと思ったんですね。
それに、野球の実況ってすごいなぁと思ったので。
スポーツ選手のドキュメンタリー見るの好きだったなぁ
野球にどハマりしたのが、小学6年〜中学2年くらいの3年間でその頃は楽天の試合はけっこうテレビで見ていた。
そのほかにもニュース番組や情熱大陸みたいなドキュメンタリー番組で選手の姿を見るのがすごい好きだった。
高校に入って陸上競技を始めたんですが、大して僕は強くなかったけど、駅伝の季節になると中継はほとんどすべて見たし、前日とかにやってるドキュメンタリーは必ず見てた。どっちかというと中継よりも、ドキュメンタリーを見ることの方が好きだった。
刺激をめちゃくちゃ受けたから
なぜかというと、中継ってまぁレース展開とか見るの好きなんですけど5時間くらいずっとテレビ見てるのって退屈になってくるんですよ。
その点、ドキュメンタリーだとハイライトになって面白い。
そして、選手がインタビューとかでイイこと言ってると、めっちゃ刺激受けるんですね。やべぇ!俺も頑張らなきゃ!って。
そういう刺激になるものをいっぱい見ては、夜中だっていうのに走りに出て行ったり、雪降っているっていうのに走ったり、突飛な行動してたなぁ。(それで、たまに風邪ひいたり…)
でも、頑張っている人の話を聞くのがすごい好きだった。自分もその人みたいになれるんじゃないかってずっと思ってた。
頑張っている人を伝えたい
いつからか分からない。
中学2年のあたりから思っていたかもしれないし、高校3年生のときからかもしれない。
でも、気づいたときに『地元で頑張っている人を伝えることで、その情報を見た人が何か刺激を受けたり動き出すようなメディアを作りたい。そんなアナウンサーになりたい。』と言うようになっていた。
たぶんはっきりと意識して言うようになったのはくじらステーションの活動を始めてからだと思うんだけど、仙台の放送局で働きたいと思っていたのは中学生のときからだから薄くは思ってたかもしれない。
いま中学・高校時代を振り返って思うのは、頑張っている人をを伝えたいと思うのは自分がそういう人をメディア通して見てすごく刺激を受け続けたという原体験があったからだと思う。
人と人をつなぐ仕ごと
高校3年の終わりくらいから大学1年生にかけて、メディア発信をするというよりは場づくりに変わっていった。
表面的な意識ではそれほど意識していたことはなかったけど、番組を作ってある意味顔が直接見えない人とコミュニケーションをとるよりも、顔が直接見えるコミュニケーションをして影響を及ぼしたいと潜在的に意識するようになったから。
たしかに、仙台のアナウンサーになりたいと中学生のときに思ったのも理由があって、僕自身が全国ネットのアナウンサーはあまり知らないけど、仙台のラジオ局のアナウンサーは名前も顔も知っていて、わりと近い距離でコミュニケーションが取れるし目立てる!というのが理由だった。
おそらく、強く認識されたい欲が強いんだと思う。
そういう想いをもっていくうちに、場づくりも自分でコンテンツを持つというよりは、人を紹介するというメディア型になっていく。
おしゃべりカフェはまさにその想いを行動にしたもの。
僕って空気みたいな存在
1年くらい前、まだWordPressのブログの頃ですが、僕って空気だよねっていう記事を書いたことがある。
正直、僕自身は表すものがなくて。バケツリレーで言ったら、来たバケツを受け渡すだけ。
でも、何をしているかといえば来たものを誰に渡すのが最適かを考えている。
僕自身は何も表すものがない、けどなんか気づいたらわりと重要かもしれないっていうところで空気みたいな存在になりたいって1年前に書いた。
僕自身は、僕の独特のものというのが正直ない。普遍的?
他にも、言葉はあるかもしれない。
ものは持ってないけど、繋いだときに小さな一歩でもアクションが生まれたらそれはとても嬉しい。
それが大きく繋がっていったらもっと嬉しい。
僕はそんな人間です。
きょうは70分jog。あおぎ仙台キャンプのある本町→コボスタ(宮城野原)→花京院。そんなに早くはなかったから10kmくらい。交差点は青になっているほうにあみだくじみたいに進んだので、狭い道も入ったりして、普段行かない場所にも行って楽しかったー!
— 木幡真人 (@kohata_0927) 2015, 10月 28