コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

キャリアセミナーに参加してきました

おはようございます。今日から2日間、AshokaのWe are the changeというイベントに参加するために東京にいます。東京に向かう新幹線の中から。

 

さてさて。きのうは仙台駅東口も大変貌を遂げたらしく。僕も行ってきました、新たな”オフィス”。

あの、一応仕事してます笑

 

午後はこんな感じだったのですが、午前中はあるプログラムに参加してきました。

 

常々お世話になっている、NPO法人ハーベストが行っている『キャリアセミナー』に講師として。

大人と若者をつなぐ、「出会い」のコーディネーター! - NPO法人ハーベスト

 

簡単に説明をすると、高校生向けのキャリア教育プログラムで従来の学校で行われていた職業講話のように先生たちが選んで偉い人たちだけが講師をするのではなく、市民講師という登録している様々な現場で働く大人たちを学校へ連れて行って高校生とマッチングするというセミナー。

 

講師も、僕がきのう行った名取北高校だとおよそ40名ほどはいたのではないでしょうか?

 

1&2年生が希望の講師を選び、50分1コマ×3コマまわります。なので、1回のキャリアセミナーで3人の仕事や人生について聞くことができます。そのため、だいたい1回毎に参加生徒は講師毎に5人〜10人ほど。アットホームな感じでできるので、とても楽しくできました。

 

 僕が参加するのは2回目。楽しいけど、いまだ慣れないものです(汗

 

僕のプロフィール(20歳実家でネコと暮らし、進級できるかわからない大学2年生、東北ソーシャルアクションエンジンという団体の代表をしてます)という話から、なぜこんなことをしているのかという話を。一言でいうとどうして木幡は他人の夢を後押しする活動をしているのかという話。

 

わりと夢がないという子にとっては響いてるのかなぁというイメージ。ありがたいことに。

 

改めて話すと…

 

僕は中学1年生の頃、友達の影響であるラジオ番組を毎日聞くようになりました。その番組は仙台にある放送局のアナウンサーが日替わりで担当するという夜9時くらいものだったのですが、それが面白くてハマりました。正確にいつアナウンサーになろうと思い始めたか記憶が定かではないのですが、中学2年の春にその放送局に職場体験に行ってアナウンサーの方に質問とかけっこうしてたのでおそらく中学1年生のときでしょう。

 

ま、そんなこんなでまずアナウンサーになるために彼らはどんな大学・高校を出ているのかをWikipediaさんで調べてみました。言わずとも知れたことですが、早慶MARCHあたりがほとんど。親からできれば宮城県内の大学に進学してほしいと言われていたので、偏差値として高い東北大学を目指すことにしました。

 

とはいえ、国立大学からアナウンサーになっているのはその放送局ではあまりいなかったので、何か秀でたものがないとアナウンサーにはなれない!と思いとりあえず学生の頃に有名になろうと決めました。付け加えて、その局のアナウンサーの方々と自分でコネを持とうと中学2年生の木幡は考えます。

 

イベントに行ったり、ラジオにメールをしたりしてひょんなこともあって何度か番組に出たりして、それなりに認知度も上がりました。だいたい中学2年から中学3年の頃だったと思います。当時、総合文化部という部活で新聞作りとか写真とかやっていて、結局先生が断って取材までいかなかったけどテレビも出れそうだったので、大学2年のメディア露出より高頻度だったかも…。笑

 

一方、受験期に勉強の方も地域の進学校に行けるくらいにはなっていたので、このまま高校に入って頑張れば!という希望を抱いていました。

 

ほぼ一直線に右肩上がりだった中学生時代とは一転して、高校時代は紆余曲折を経ます。

 

最初のテストは240人中213位。いきなり現実を見せられます。また、陸上長距離のほうも入ったはいいものの後に貧血と診断されるほど体はボロボロで、ついていけませんでした。後ろからのスタートです。その頃は将来を考える暇もなかった気がします。どこを見たらいいのかもよくわからなかった。

 

でも、半年くらい経つとそれなりに勉強のペースとかも分かるようになってくるもので少しずつ上がってきました。友達ともカラオケ行ったり、遊びに行ったり。部活も少しずつ上がってきて楽しめるようになりました。

 

ただ、ちょうどきのうきてくれた子たちの世代のとき僕は潜在意識としてよくわからなかった憶えがある。今まで、プレゼンで話すときは高校2年で大けがをしたあとにキャリアのことも悩んだと話していましたが、正確には高校1年の秋くらいからずーっと悩んでいました。

 

もともと、アナウンサーになりたいと思いはじめラジオを聴いてた頃仲が良かった友達は失礼な言葉かもしれないけど変わった人たちだったと思う。ラジオの話で気が合うなんてそうそういませんからね。笑

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でも、高校に入って人間関係がリセットされて、陸上部の友達ができたり、クラスの友達と仲良くなることで趣味や話すことも変わってくる。高校に入ってからもアナウンサーの人たちがいるイベントには行ってましたが、部活が忙しくてラジオを聴いたり、メールを出す頻度も減ったような気がします。

 

また、周りの友達が教員になりたいという話や公務員になりたい、夢がないという中でアナウンサーという華やかであり、ある種浮いていたり、夢物語を語っているのが恥ずかしくなってきたというのもありました。

 

そして、最大の悩みはアナウンサーになりたいというよりも、中学1年生のときに聞いた放送局のアナウンサーたちと一緒に働きたいというほうが大きかった。だから、もしもその局に落ちて、他の放送局のアナウンサーになるかと言われたら答えはNoだった。モチベーション0。

 

そんなこんなで、ぼんやりとどうしようかなーと思っていた。

 

それが顕在化したのが、高校2年夏の大けがの後だった。それまでは、どうしようかなでも楽しかった。部活も充実してたし、先輩や友達と部室でしゃべるのが楽しかった。クラスの友達と喋るのが楽しかった。だから、将来のことに向き合わなくたって今が楽しければいいって言えてた。

 

大ケガでその全てを奪われた。今が楽しくなくなった。自信がなくなった。

 

止まるといろんな悩みが出てくる。勉強も何も身が入らなくなった。

 

高校2年の冬は受験も意識し始めるとき。ちょうど、どういう仕事に就くかという話も出てきた。だから悩んだ。

 

今の成績では1年より上がったとはいえ到底目標には行けない。アナウンサーという職業に対してはモチベーションも特になかったし、他にも興味がなかった。実質、夢を失ったといっても過言ではない。

 

でも、大人に聞かれて夢がないというのはあれだなぁと思っていたし、何かしら普通ではなく有名になりたいという願望もあったので「アナウンサー」とは答えていました。そうしていなかったら、今の自分はないと思うと不思議。

 

2013年春。僕は出会った。

 

仙台で活動する大人、大学生たちに。そこからは出会いが連続していき変わった。夢も変わった。

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こういった原体験があるから、僕は『出会い』が人を変える、夢ができて全力で走りだすことを信じている。夢を後押しする活動をしている。ひとりひとりが変われば、最終的に地域の課題解決につながっていく。みんなハッピーになる。

 

僕は夢がないことが悪いことだとは思っていない。立ち止まることもある、悩むこともある、夢があると思っていても信じられない時もある。

 

でも、何かをしている自分が楽しいか、楽しくないかはわかると思う。その嗅覚を大切にしていろんなものに出会ってみることが大切なんだと思う。

 

という話をしました。

 

高校生にちゃんと伝わっただろうかという不安は少しあります。でも、彼らなりに聞いてくれたのはとても嬉しかったです。

 

でも、こうやって喋ったり書いていると当時を思い出して、今の活動なんでやっているんだっけ?というのを整理できる。

 

僕自身もハーベストさんと同じように、高校生のキャリアを後押しする活動をしているのできのう僕と会った子たちが来てくれたらなぁなんてことを思っています。

 

こういう子たちに来てもらえるように、もっともっと頑張ろうと思います。