コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

疲れた、疲れたって言いまくったので元気になります。でも、、、

こんにちは。

 

前の記事を書いてから、1週間が経ちました。

kohatanokotoba.hatenablog.com

 

いろんな反響があって、びっくりしました。いろいろ落ち込んだり、僕を包んでくれるメッセージに泣いてしまったり。いろんな感情に出会いました。

 

疲れた、疲れたってネガティブな感情を放出し続けたので、そろそろ元気に戻ります。

 

結論からいうと、『東北ソーシャルアクションエンジン』の活動は続けます。いろんな人と話してみて、自分の中で考えてみて、きっと今自分の覚悟を試されてるときなんじゃないかって思っています。

 

しかし…。

 

今日はそんな話です。

 

3〜5日、長野県小布施町に東北若者10000人会議発起人の田中草太さんと一緒に行ってきました。全国各地で行なわれている若者会議の主催者が集まる合宿で、僕は主催者ではないですが、枠が空いてて誘っていただいたのでついて行きました。

 

 

3日は、観光ついでに長野県上田市へ。ブックカフェ NABOや、リノベーションしたお店、町屋な雰囲気を感じてきました。ちなみに、写真右で写真を撮っている人が草太さん。

 

www.nabo.jp

 

正直、3日の朝に東京に着くまで『どうして僕が行くんだろう。この時期に。』と思っていました。やりたいこともなくなった。意識高い人が集まる場。2日間、何をすればいいんだろうと。

 

3日の朝に池袋で草太さんと集合して、上田に向かい渋滞に巻き込まれるバスの中で話していて、本質的に自分のやりたいことがなくなったわけではないんだなってことに気づきました。

 

話を掻い摘んで話すと、3月くらいから人を支援することをネタに自分が輝くってどうなんだろうという違和感をずっと感じていました。その違和感が、僕を悩ませていました。草太さんと話していて、別に承認欲求はみんな持っているものだし、それはそれでいいんじゃないかなというのに、すっきりした。

 

また、2日間のワークショップで全国各地で若者をエンパワメントする人たちと話していて、自分は『支援』したいというよりも、刺激しあえるコミュニティを作りたいんだなということに気づけた。この2日間がなければ、自分のことを言葉に落とし込めなかったし、覚悟を決めることができなかった。

 

実は、覚悟というのも3年前、僕が陸上競技をやっていたときに人間関係がこじれたときと似たような現象が起きている。前のブログ記事を出したのが4月30日だったが、3年前の4月30日はちょうど「陸上部を辞めよう。」と決めた日だった。理由は周りの人たちと口喧嘩をして、その前から溜まっていたものが噴出して自分はここにいる人間じゃないと感じて去った。その当時、浴びた言葉と同じ言葉が今回も投げかけられた。今回は、意図的に体調を戻すためにだったが、5月1日は3年前も自分の部屋にこもっていた。そして、5月4日・5日は3年前本来であれば陸上競技の地区大会だった。ここで勝ち抜こうと思っていたものを全て脱して、その頃出会っていた佐藤大地さんのイベントに行った。そこで悩んでいたことを打ち明けると彼は『今は逃げてもいいんじゃないかな。次に向き合えば。』という言葉をくれた。今年は、5月4日・5日の2日間に若者会議の合宿が入って、自分のやることを言語化する作業を繰り返した。『自分がやらないと。』と思った。

 

活動を一回休んで、大学だけに絞る方法もあったと思う。だけど、こうやって3年前と同じように進む中で合宿がセッティングされていて、偶然誘われて、「向き合いなさい」ということなのかと切実に感じた。

 

草太さんに長野へ向かう途中に、別に大学と活動両方選べるわけだし無理に一本に減らす必要もなくない?と言われた。たしかに、冷静に考えると活動を減らしても、急に大学の時間が多くなるわけでもない。だったら、学びと行動を両立するほうがより充実する。

 

これからも走り続けていこうと思います。

 

その一方で、更地になってしまったからこそ気づいたこともあります。

 

『東北を熱くするって言葉、果たして自分なのか?』

 

ということ。

 

今回、長野に行って地域っていうものに向きあったり、自分を見つめ直してみて思ったのが、熱したいわけではないんだなということ。

 

何かが進むためには熱さは必要だと思います。

 

しかし、僕自身もONとOFFがあって、ONの時は松岡修造的熱さもあると思うんですが、じゃあ全てがそれかっていうとちょっと違うかなって思うんですよ。

 

また、僕が東北ってこれだよねっていうのを思うと、熱さというよりも優しさなのかなとか思ったりもします。

 

僕が、3月に山元町のGRAが行った山元ミガキ塾に参加したときと同じことを思いました。

www.facebook.com

 

その時の木幡真人はこう言っています。

 

いろんなリーダーの姿を見て、自分は『優しさ』かもしれないと思った。決して、熱のある鋭い言葉を威勢良く出せるわけでもない。けれど、少しずつでも、ゆっくりでも真剣に紡ぐ言葉に自分らしさがあったり、その言葉を感じてくれる人がいることに気づけた

 

もちろん、僕にも他の僕が大好きな人たちにも熱さなるものは存在します。東北で頑張っている人たちにも、勢いの熱さは存在します。

 

しかし、果たしてそれだけで生きているのでしょうか。

発進するときの熱さは確かにありますが、例えば誰かが辛くなったときに受け入れてくれる愛だったり、自然な環境の柔らかさ、熱さとはまたちがうものもあるような気がします。

 

東北にはそんなものがあるような気がしてなりません。

 

不器用だけど、決して上手ではないんだけど、自分が嬉しいと思う気持ちや好きって気持ちを相手に伝えたくて、どうしても形にしたくてまっすぐな気持ちから生まれてくる何か。不器用だけど、真剣な表情から生まれる言葉を、待つ優しさ。

 

少なくとも、僕の周りの大好きな人たちは「優しさ」がある気がします。

 

自分の想いと受け入れる優しさがある気がします。

 

きっと、そういうものが輝くということなのかもしれないと気づきました。

 

前の記事に書いた通り、『熱い』というのは少しなくなりましたが、その分もっと真髄にあるものを探っていこうと思います。

 

僕も、もっともっと真剣な言葉を自分自身に問いかけて生きていこうと思います。

 

一度、止まることで見える世界があることに気づきました。