コハタのコトバ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

結果を出せない時期に学べること

活動

「木幡さんってそういう視点があって、俺とは違いますよね」と後輩と話していたときに言われた。

 

 

後輩と話していたときに、あるコミュニティで活動している高校生、大学生が結果を出せてなくない?という話を言われた。そのときに、僕は結果を出せていなくてもいいんじゃないかなという話をした。

 

生ぬるいと思われるかもしれないけど、僕はそう思うんだ。

 

僕がそう思うのは、自分自身が大学に入ってから数多くの「しょっぱい」経験をしてきて、それでもいろんな人に助けてもらったからだし、たとえ結果を出せなくてもその時の経験に意味があると思うからだ。

 

 

結果なんか大事じゃない!という気はまったくない。でも、未熟なうちは結果を出すことだけが大事なことではないと思う。

 

 

なぜ、僕がそんなことを思うのかというと、高校生の頃にこれから先どんどん成長していくだろうと思い描いていた未来と現実の未来はかなり違うんだということに突きつけられた経験があるから。

 

 

高校生の頃に団体を立ち上げて『高校生』にしてはたくさん活動をして、テレビにも取り上げられて、賞をもらうことなんかもあって、このまま延長線に未来があると当時は思っていた。

 

 

でも、現実にはなかなかそうはいかなかったし、腐ってるうちに周りの人たちがどんどん活躍していく。そんな現実はなかなか受け入れたくないし、過去の栄光にしがみつきたくなるけど、現実は進んでいく。向き合わないと、もっと周りとの溝ができていく。

 

さすがに、僕ほどズブズブに生きてる人間もいないと思うけど、そういうアクセルを目一杯踏んでるはずなのに前に進まないみたいな時期があってもいいと思う。何かの事情があって活動が思うように進まない、思い描いてた未来とはかけ離れているといったときが。

 

 

そういう時期があるからこそ、自分に足りない何かが補われていくような気がするし、大事な何かに気づくことができる。高校生の頃から仲の良い人たちもきっと同じようなことを感じてると思う。

 

 

僕の場合は、思うように進めない時期があって、人との繋がりであったり信用について学んだ気がする。前に書いた記事に載せたけど、昔から人をひっぱっていく立場になることが多かったり、人よりもできることが多い分、人に任せることが苦手だった。また、苦手な部分を他人に見てしまうとどうしてもすぐに切り捨ててしまう癖があった。

 

kohatanokotoba.hatenablog.com

 

もっとストレートにいえば、自分勝手な人間だったんだと思う。

 

だから、いつも「仲間」に関するトラブルで失敗してきた。喧嘩別れだったり、人に対して誠意を欠いた仕事をしてしまったり、自分勝手に進んでしまった結果信頼を失ってしまったり。

 

 

高校生の頃は、まだ許せてもらえたんだと思う。

 

大学生になってから、こういう思い通りにならないことにかなり自分は周りの環境にたしても、そして自分の至らなさにも苛立ちを感じていた。

 

 

 

でも、あのまま思い通りに進んでいたらどうだっただろう。あのまま成長できたら、できることはたくさん増えたかもしれないし、生意気にいろいろ言える人間にもなっていたかもしれない。でも、それは本心から望んでいるものとは言えなかったと思う。

 

うまくいかない時期があるからこそ、自分にとって足りない部分を知ることができた。相手を大切にすることだったり、誠意を持つことの大切さみたいなものを。

 

 

また、別な視点から見ると結果を出すことが悪いことだとも僕は思わない。結果を出し続けることはそれ相応に陰で努力する必要があるから、結果を出し続ける人は本当に頑張っていると思う。結果は出せた方がいい。

 

でも、結果が思うように出ない時期でも、支えてくれる人の大切さに気づけたり、自分にとって大事なものと向き合う時間になったり、自分の生きていく道にとって豊かなものになっていくんだと思う。

 

 

だから、僕は高校生、大学生のときには結果を出せているかどうかがすべての指標にはならないと思う。むしろ、結果を出ていても出ていなくてもその裏で何を考えているか、何を学んでいるかがとても大事なことだと思う。

 

 

なんてことを、僕は後輩くんたちが動いているのをfacebookを通して見たりするたびに、過去の自分を重ねながら感じてしまう。

 

ただ、僕はそろそろ結果を出さないと。