コハタのコトバ

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コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

ぼくのマイプロ・中学編

思い返してみると、中学、高校、大学で一つずつ形を残してきてる。

 

僕が初めて自主的にチームを組んで『創る』ということに挑んだのは中学2年生、2009年。もう8年も前のことだ。

 

 

中学1年生、木幡少年はアナウンサーになることを夢見た。

中学校に入ってすぐ野球部に入ったが、周りの環境とソリが合わず夏休みで辞めてしまう。辞めるまでの悩んでいた時期、部活に行くのが嫌すぎて1ヶ月ほど不登校になっていた。

 

しかし、引きこもっていたある日、国語の先生が僕の家を訪ねてきたのだ。

だいたいその先生と話し込んだあたりから、僕の人生が一言では語れないものになってくる。小説の序章にある、あやしい人との出会いみたいなあれである。あれによって、木幡少年のその先はご存知の通りズブズブである。

 

『野球部を辞めたいなら、うちにこないか。』

あのおばちゃんは、一体なぜぼくに声をかけたのだろうか。ただ単に、運動部に合わない人間だから誘っただけなのだろうか。でも、9年前のあの日ぼくにかけてくれた言葉はそれだけではなかった。

 

あの友達は町内の神社や仏閣を周って歴史の研究をしている、あの人はカメラでいろんなものを撮っている…と細かに説明してくれた。まず、これを手伝ってみたら?と誘ってもらった。

 

とはいえ、あの人は僕の何をみてそんなに説明してくれたのだろう。

あの頃はまだそんなに親しい先生でもなかったし、課題もちゃんと出している人間でもなかった。でも、僕の何かをみて話してくれた。

 

そうして、先生に助けられ次の身の置き所が決まった。それが、のちに僕が初めて何かを創ることに挑戦することになる総合文化部という名前の半分帰宅部みたいなところだった。

 

というのも、もともと何個かの部活が統合されてできたのだと思う。だから、半数くらいの人は何かしら自分たちのやりたいことを曲りなりにもやっていた。一方で、それ以外の人は部活に籍は入れているけど帰宅部同然の人もいたし、中には学校にはないスポーツを外部でやるために籍だけ置いとくという人もいた。

 

 

はっきり言えば、何もやらなくてもいい部活で、なぜか僕は「すること」を選んでしまった。真面目に何かをやっていた側の人たちと元から親しかったということもあったけど、暇していても手持ち無沙汰なのが気持ち悪くて、その人たちの手伝いをできるところから始めた。

 

 

そうして、休みの日にインタビューに行くのについていったり、撮影についていく日が始まり、元から仲が良かったその人たちと一緒に行動する日々になった。その中で、話題になっていたのが『ラジオ』だった。

 

まあマニアックな話題だなあとは思うし、実際マニアックな人々の集まりではあったんだけど、なぜかいつもその話題だった。

 

僕たちは地元の放送局のあるラジオ番組を聞いては、いつもその話をした。その番組に出ているアナウンサーの話をした。ああだった、こうだったと感想を語り合った。

 

 

今、当時を振り返ってみると他の人たちの見方と、僕の見方は少し違ったかもしれない。彼らの視点はある種マニアとしての視点だった、でも僕の視点はその時期から憧れになった。

 

その番組を聴いてアナウンサーになりたいと思うようになった。この音の先にいる人たちと一緒に働きたいと思うようになった。遠くない未来、聴いてもらえる人になりたいと思うようになった。

 

 

そのときの僕にあまり深い理由はなかった。でも、ひとつだけ思うのは、部活を辞めていろいろと疎外感を感じたり、新しい環境になって確立されたポジションがない不安の中で見た楽しさや輝いている人がその番組に出ていたアナウンサーの人たちだったんだと思う。

 

だからこそ、こうなりたいと思った。自分も何かを伝える人間になりたい、発信する人間になりたいと思うようになった。

 

そこから1年、僕はフラフラしていた

まあ、何かしらはやっていたし、真面目に部活に顔を出してはいたけど、自分の島を持てずにかといって誰かに真剣について行くでもなしに過ごした。

 

本音を言えば、カメラをやりたかった。一眼レフカメラを買って、写真を撮りたかった。でも、その時の自分にはお金がなかったし、親に言っても買ってはもらえなかった。だから、写真をやっていた人たちほどにはなれなかった。

 

かといって、他の活動についていくほどの興味もなかった。

 

だから、フラフラしていた。

 

 

そんな中学生活も折り返しに入ったある日、先生とこれからどうしたいのか、夢はなんなのかということを真剣に話した。アナウンサーになりたいということを話した。

 

すると、先生はこう僕に言った。

「木幡はジャーナリストになるタイプだよ。だから、新聞をつくろう。」

 

 

今までの自分にない視点だった。

自分はカメラをやりたいと思っていたし、アナウンサーになるためにここで何ができるとも思っていなかった。第一、校内新聞はオフィシャルな委員会が他にあったし、学級通信だって先生たちが出している。

 

「なのに自分が新聞づくり?」

 

というのが、正直な気持ちだった。

 

今思うと、よく社会のことを友達と話していた自分のことを先生は見ていてくれたのかもしれない。もしかしたら、周りとは違う何かを見つけてくれたのかもしれない。

 

そして、何も持っていない自分にとって、何かに打ち込むというのは望んでいたことだったので始めることにした。気づけば自分が編集長として、始めていた。

 

 

それから、いろんな知らないことの繰り返しが始まる。

すべてが初めての経験だった…

 

 

というその経験については次回話しまする。

 

 

今までここらへんの話は自分の実績や自己紹介にも載せていないし、ブログで書いても高校時代のイメージに隠れてあまり他人には伝わっていないこと。でも、自分にとっては震災後のアクションにも繋がっているし、自分が『頑張れば、目標を達成できる』と自信がついた頃でもあった。

 

実際、大きかったと思うのは先生の言葉だった。

自分にはない視点で、かつ挑戦を後押ししてくれた。

 

 

その成功体験が、いま自分が大学生・高校生の想いを応援する理由に繋がっている。

 

 

【お知らせ】

 
7月から仙台で何かやってみたい!と思っている大学生・高校生を対象にアクションを起こすための講座『ジブンゴトLab.』を開催していくために、クラウドファンディングを実施中です。
 
このプロジェクトは、ぼくが大学に入ってから想いは持っているけどなかなかアクションを起こせない友達や後輩と話していて、アクションを起こしたらもっと面白くなる!応援したい!という想いから企画をスタート。
 
現在、プログラムを開催するために必要な会場費用や物品費用、合宿経費、今後の活動費などなど合計で100万円のご支援をお願いしています。
 

また、このプログラムでは、より多くの仙台で暮らす大学生や高校生に『自分たちもアクションを起こしたい!』という思いを持ってもらいたいという想いから、終了後に参加するひとたちを取材して記事にまとめたフリーペーパーを製作し、仙台市内の大学や高校を中心に配布する予定。

 

ぼく自身も、ブログに書いてきたように中学、高校、大学のときのそれぞれのフェーズで多くの大人や先輩たちに応援してもらって、想いをアクションにすることができました。

 

共感していただけたら、ジブンゴトLab.へご支援をしていただけると嬉しいです。

 

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