コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

ラジオに出会って見える景色が変わった

1年間回してきたものが終わった。


うちの研究室が毎週1回、コミュニティFMで流している番組の現・4年生担当期間ではラストの収録がきょうあった。


そっか、1年経ったのか。
大きい感動を感じるわけでもないけど、ふと気づけば終わるのかというストンとした感覚があった。

別に、放送局でやっているようなラジオのクオリティでもないし、特に大げさな企画をして放送するわけでもない。ゼミの時に集まって、テーマを決めてゼミの活動や、まちづくりの情報、みんなの近況とかをボイスレコーダーの前で10分楽しく話す。そうやって、50回くらいやっていたら1年が過ぎていた。


僕はただ話すだけだったし、30分番組のうち前半の先生が話すコーナーの収録に毎週研究室に行っただけだから、テーマを決めたり編集することの大変さはあまり分からない。でも、なんだか1年間ゆるくやったなりに楽しかったなというのを感じた。


最初は、同じゼミにならなかったら大して仲良くもならなかったであろうメンバーが、毎週毎週10分話すことで、その人たちの性格や趣味が見えていく。何を話したらいいのやらという感じだったところから、徐々に話すことの楽しさを見出していった。


思えば、僕はラジオに出会って見える景色が変わった気がする。


中学1年のときに聴いたラジオ番組に元気づけられて、アナウンサーになることを夢見た。
翌年には、偶然アナウンサーになりたいということを番組に書いて送ったら、ラジオに出させてもらえた。喋ることで自信を覚えた瞬間だった。

アナウンサーになることを夢見たから、高校3年生で「くじらステーション」を立ち上げた。
正確にいえば、ラジオというよりはテレビに近いんだけど、
Ustreamというサービスを使って月に2回、1時間ずつ企画して、番組構成を考えて、高校生たちが喋る。雰囲気はラジオに近かった。


高校3年生になって活動を始めてからは、取材や番組出演の依頼をいただいて、出演することも多くなった。


東京のキー局のラジオ、仙台のラジオ番組…ありがたいことにいろいろ出させてもらったけど、一番嬉しかったのは2013年にくじらステーションを立ち上げた頃、TBC東北放送の番組にスタジオで出演させてもらったことだ。


アナウンサーになると決めたのは、東北放送の番組を聴いたことがきっかけだったから。
いつも聴いていた、あっち側に自分がいる。スタジオに入るとき、プロ野球選手がブルペンからマウンドに向かうような緊張感とワクワク感を覚えた。

そして、知っているアナウンサーと一緒に番組に出ている。
不思議な感覚だった。

結局、アナウンサーになることよりも、自分でまちづくりに関わることが楽しくなってしまったのだけど、それでもあの頃の思いは忘れていない。人を伝えたい、地域で頑張っている人を伝えて、一人でも多くのひとに「自分もがんばろう。こんな人になりたい。」と思ってほしい。そんなきっかけを作れたら。それを伝えられる近い場所にいたい。


それが伝えられると思ったのが、これからはネットであり、リアルの場づくりだと思った。
だから、僕はいま『ジブンゴトLab.』をやっているし、プログラム+フリーペーパー製作をしたいと思っている。


1年後、紙を手に取るひとが変わるきっかけになったら。


僕が、ラジオに出会ってこうなりたいと憧れたように。