コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

先を見せてくれる人の存在

思うと、僕の周りには中学生くらいの時からずっとずっと
先を見せてくれる人たちがいてくれた。
 
 
 
夢というか、希望というのか。
そういった類の人たちだと思う。
 
 
それがきっと、中学生のときにはアナウンサーという職業の人たちだったのだと思うし、高校生になってからは都道府県駅伝代表に入り箱根駅伝常連校に進学した先輩だったり、ソーシャルな活動をし始めてからはクリエイティブな仕事をしている人たちだったり。
 
 
 
大学に入ってからも、人材育成だったり、まちづくりの現場で先を行く人たちのそばにいることができた。
 
 
こないだ、糸井重里さんがほぼ日でヨーグルトの話を引き合いにして、
育てる環境は大事だという話をしていた。
 
 
たしかに、そうなのかもしれない。
 
 
 
僕は高校時代にも、大学に入ってからも周りを妬んだことがある。
『どうして僕はキツい方を選んでしまったんだろう。どうして、あの人たちは楽をして、遊んでいるんだろう。』
 
 
 
中学校の頃は一緒に頑張ってた人たちも、高校は散り散りになると、朝通う電車は同じでも身を置く環境は全く違うんだと思ってしまう。
 
 
こっちは勉強も部活も大変なのに、あっちは遊びの話をしている。
 
 
 
今思えば、そうでもないのかもしれない。
彼らは彼らなりに、16歳という時を内心悩んでいたかもしれないし、何かを感じて日々を過ごしてたのかもしれない。
 
 
 
たしかに、あの時は妬むしかできなかった。
 
 
 
 
でも、楽なほうを選べば、楽なのだろうか。
僕はそんなことはないと思う。
 
 
エネルギーを持て余して、
むしろ苦しいんだと思う。
 
 
持ったエネルギーは、毎日毎日走るように、
成長することに使った方がいいんだと思う。
 
持ったエネルギーは、
使って充実感、達成感に交換した方がいい。
 
 
その達成感は、次に希望になる。
周りに繋げられる。
 
 
結果的に、いま自分はよりやりたいことをできる環境に身を置いているし、
目指そうと思えばどこまでもいける。
 
先を見せてくれる人たちのおかげで、ここまで来ることができた。
 
 
 
ただ、そこに安住してはいけない。
 
 
今年で22歳。
 
 
 
中学生のとき夢を持ったきっかけになった人の年齢にあと1年。
高校でも陸上部で走りたいと思わせてくれた、駅伝選手たちと同じ年齢になった。
 
 
高校生のときにこの人たちはすげえって思った、そんな大学生たちと年齢が並んだ。
 
 
憧れを持たれるくらい、僕は物事に真剣に向き合えているのだろうか。
もらった襷を次に繋げられるくらい、真剣に走っているだろうか。
 
 
 
やっぱり、こんな話はしたくないと思いつつ、
義務感みたいな話になってしまうけど、僕は刺激を受けたり、感謝を感じたら、
 
 
 
それは、自分なりの行動に繋げるべきだと思うんだ。
 
 
 
これは、お金と似ていると思う。
 
 
刺激や感謝を感じるというのは、ある意味貯金と似ていると思う。
 
 
 
でも、いろんな人から刺激を受けてばかりいて、何もしないでいると、
お金が増える一方で何にも使わない人のように、流れがなくなってしまう。
 
 
 
それを『刺激疲れ』とみんな呼んでいるのかもしれない。
 
 
 
もらったものは、自分なりの使い方でエネルギーを使っていく。
 
 
 
それが毎日走ることかもしれないし、デザインをやることかもしれないし、文章を書くことかもしれないし、なにか活動を起こすことかもしれない。
 
 
 
僕はまだまだ、リレーゾーンで足踏みしているのかも。