コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

自分の中心

明日、tasukiがスタートする。
 
7月にメディアを始めたいってだいこんにLINEを送って、8月末に山本に取材させてと連絡をして、9月11日に取材をして、明日初めての記事をリリースする。
 
ここに辿り着くまで3ヶ月かかった。
 
高校3年の時、大学受験の志望理由書に書いた「メディアをつくりたい」という文章から数えると4年かかった。
 
 
まだ本当にスタートできるんだろうかというはっきりとしない感じ、モヤモヤとした不安はもちろんある。
 
ここ2ヶ月くらい、もう何をやったって自分はダメだと卑下してしまう時間も多かった。
 
2年前から自分が何もできなかった時間を過ごしてきて、もう自分のベストを超えることは無理かもしれないと思ってしまうことのほうが大きかったりする。
 
よく、陸上競技の世界だと、高校の頃に出したベストタイムを超えられず、伸びずに選手生命を終えていく人間はよくいる。自分はそんな大した人間ではないけど、そんなのを見るたび、自分もそんな人間のひとりなんじゃないかと不安がった。
 
 
中学2年の冬周りから孤立した時。
 
高校2年の秋から冬怪我で走れなくて結局陸上を諦めてしまった時。
 
今まで生きてきた中でも、思い通りにいかなかった時期は当然あった。
季節に春夏秋冬があるように。
 
 
この冬はとても長かった。
 
この2年間本当に辛かった。
 
団体は立ち上げたけど「自分は何をやってる人間なんだろう」という思いに駆られて。
 
自己紹介でもふわふわしたことしか言えない。
 
お金を求めても、確固とした活動ができているわけではない。
 
辛かったし、悔しかった。
 
 
でも、何をできなかった。
 
もちろん、お金が入ってこないことの苦しさはあったと思う。
 
 
 
でも、それ以上に自分が何をしているのか分からない、フワフワしていることの苦しさの方が遥かに大きかったと思う。
 
 
大学3年生になってからゼミのプロジェクトをやったり、先生が主宰している塾のスタッフをやったり、修行だからと言われ、それを受け入れるしかないから「修行なんだ」と思いつつ、何故やらなければいけないのかが分からなかった。
 
 
でも、1年経ってみて振り返ると、あの時期に例えばおしゃべりカフェを続けたとして良い結果が生まれただろうか、ジブンゴトLab.を続けていられただろうか。
 
 
たぶんでしかない。
 
けど、うまくいかなかったと思う。
 
 
本音を言えば、2年前は「コミュニティを引っ張っていきたい」「自分がエースになりたい」という自分が一番でなければ嫌だった。
 
 
自分の中身というよりも、相対的に勝つことが原動力のほとんどだった。
 
一時期、走っていたことのモチベーションも、一番前を走ることだった。
 
 
 
1年経つ間に、自分自身がリーダーでなければいけないとか、エースじゃなきゃいけないとか、一番前走ってないと嫌だという感情が抜けていた。
 
今になって気づいた。
 
 
木幡真人という個人として、何を創るのか、何を目指すのか、どんな人間になりたいのかをもっと中心に据えて考えられるようになった。
 
 
そういうことを人の下で働くようになって、自分が中心じゃない現場で動くようになって、自分が注目されない世界で動くようになって、初めてそれをモチベーションにしても意味がないんだってことに気づいたんだと思う。
 
当時、勝ちたいとか、目立ちたいとか…そういうことを考えていたのは、自分が満たされなかったからだと思う。
 
学校に行っても周りと上手くいかない、活動をやっていても自分がこれというものを創れないから周りに目が行ってしまった。上手くいかない自分を見せたくないから、何もないのを隠したくて目立ちたかった。
 
でも、大学3年生になり、人と繋がれるのは自分の名誉とか振りかざす何かではないと気づいたし、案外、大学の周りの人とは普通に繋がっていた。
 
 
次第に周りに対する棘もなくなっていた。
 
 
 
 
僕にとって、今原動力になっているものは、一番になることでも、誰かに勝つことでもない、威勢良く叫ぶことでもない。
 
ただ、自分が創りたいものを創ることだと思う。
 
今まで自分は最後まで作り切れたというものがない気がする。
 
 
野球も、新聞も、バレーも、陸上も、メディアも。
 
全て中途半端にしてきた。
 
 
だからこそ、僕は今度は自分がやりきった、本当に次のステージが見えてきたから次に行くと言えるまでやりきってみたい。続いていくものをつくりたい。