コハタのコトバ

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コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

それって、努力をして好きを勝ち取ったのか?

最近、思うところがあり整理のために書きます。

 

1月に、こんな記事を書きました。自分には物欲がなくて、正直ゆっくり好きなことをやって暮らせたらそれでいいやって、周りの人たちと楽しく過ごせたらそれでいいんだって。

kohatanokotoba.hatenablog.com

 

でも、やっぱりそのスタンス嫌だなあって最近思い始めていて。

 

表面上はいいんだと思うんですよ。好きなことをしたり、マイペースに過ごすとか、尖っているより丸くみたいなところは僕は好き。

 

でも、結局それって表面上でしかなくって。逆にこの文章を書く自分って泥臭さがないし、高校生の頃に持っていたギラギラ感というか頂点狙ってやる!みたいな強い気持ちが足りないなって思う。頑張って、自分のやりたいことやったる!みたいな頑張って1位を狙おうとする気持ちじゃなくて、疲れたから集団から離れてもいいやーみたいなそういう粘りのない、ある意味達観しているような文章だなって今になって思う自分がいて。

 

ある時、いまって仙台で目立ってる学生とか、天下とってやるわぁああみたいな学生がいないよねって言われて会話していた中で、別に僕はいいんです狙ってないしって返した。僕はそういう目立つとかそういうところじゃなくて、好きなことやって生きれたらそれでいいんですと伝えた。

 

実際「スゴい」よりも「可愛らしさ」みたいな部分を僕は重要視している。

ある意味では、高校生のときに「スゴい」を狙いすぎて失敗したことの反省に基づいている。

 

でも、でもだ。

 

今の自分って、何かをナメていないかと思っていて。

どんな言葉だったかは忘れたけど、前にほぼ日の糸井重里さんが、ほぼ日は楽しくやっっているというよりも「楽しそう」にやっているという話を思い出した。どんなに楽しいことでも、それは怠惰な楽だったり楽しいの上に成り立っている丸さではなくて、日々の努力の上に成り立っている「楽しさ」というものであって。

 

今の自分の「好きなことできればいいっすよ」っていう言葉は、マラソンで息ゼーゼー吐きながら走るのがかっこ悪いから走らないみたいなことを言っている中学生と大差ないやんと思ってしまう。

 

それって、努力をしてその好きを勝ち取ったのか?

 

だから、ワクワクしてる?って聞かれても、堂々とワクワクしてるって言えなくて。別に「スゴく」なる必要はないけど、僕が高校生の頃のギラギラ感というのはもっともっと持っていてもいいよなって思う。

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あの頃の自分は少々行き過ぎてはいたけど「自分たちすげえ!」みたいな絶対的な自信を持っていたし、自分たちが社会変えてやる!みたいな気持ちを持っていた。もちろん、スゴくはないし社会変えてる自分たち!みたいなことを表沙汰に言わなくてもいいんだけど、情熱大陸出てやるよ!くらいの夢を語って行動していくギラギラ感くらいはあったほうがいいんじゃないかとこの頃思っている。

 

それこそ、箱根駅伝3連覇を果たした青山学院大学のメンバーだって、俳優・歌手・文筆家の幅広い活躍をしている星野源だって、楽しさとかワクワクを追求している人たちほど自分の目標にたどり着くまでめちゃくちゃ努力をしている。

 

キャラとしての可愛さみたいな部分はあったほうが良いんだと思う。

でも、努力に対する姿勢さえもフワフワしたものになったら、それは自分を甘やかしてるだけ。だから、つまらない人間になっていく。

 

 

余計に、人を応援する、少し下の世代を引っ張っていく役目の人間をやるということは、大きく捉え過ぎかもしれないけど、憧れられるということでもある。そんな人間が、(仙台で一番の学生になるかどうかは別にして)あはは〜いいっすよ〜なんて言ってる場合なんだろうか。

 

競争ではないし、ランキングがあるわけでもないし、そこが本質ではないので、仙台で一番の学生になりたいわけではないですが、とにかくなってやるくらいの勢いと努力がないと、好きなことを仕事にはできないし、ましてや人を引っ張っていくパワーなんてないんじゃないかと思い直した。

 

怠惰な余裕ではなく、努力の先に見せる余裕でありたい。

 

4年前のことを思い出して、今の自分の停滞感からそんなことを思った最近。