コハタのコトバ

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コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

いったい自分は誰なのか。自分は真っ白なんだと思う。

ポエム メディア

『お前は誰なんだ。そういうところが伝わってこない。

 

ある人から急にそんなことを聞かれる。答えられそうで、咄嗟に答えが出てこない。他人より自分を深掘りしていたつもりだったけど、自分は結局何者なのか言葉にしようとすると詰まってしまう。

Note

しばらく悶々と悩む。空中に想像を浮かべながら思い続けても一向にそれに対する答えは出てこない。

 

何度もあのとき言われた言葉が頭の中で再生される。

 

『木幡が着ているもの、身につけているもの、持っているもの、髪の色。全部がなかったらお前はなんなんだ。』

 

自分が身につけているもの全てなくなって、裸になったら。自分のやってきたこと、これからやっていきたいこと、周りにある環境。全てをひっぺがしたら、いったい僕は何になるんだろう。

 

そして、あの言葉を言われた瞬間からどうしてこんなに自信がないんだろう。いや、これは元来僕自身が自信のない人間なんだな。

 

『なぜ、僕は自信がなくて誰かに寄ってしまったり、他人が気になるんだろう。』とノートに自問してみた。

 

すぐには気づかなかったけどいろいろと自分の気持ちを書いていくうちに、自分は『何も書かれていない真っ白な人間だから』他人を気にしてしまうんじゃないかという答えに行き着いた。

 

きっと自分の身につけているもの全てをひっぺがしたときに残るものなんてなにひとつないんだと思う。

 

真っ白の紙かもしれないし、キャンバスかもしれない。

 

色がない(と思い込む)から、色を持っている他人ばかり見てしまう。他人が持っている色はいいなぁと羨ましくなってしまう。自分の色がない(と思い込む)からこそ、他人の中に寄っていきたいと思ってしまう。

watercolour

 

いろいろ思い出すと確かに無意識のうちに自分の考えではなくて、あの人がああいっているとかあの人と一緒にこれをやっていてとか、その言葉の中に『自分』という主語はあるようで入っていない。

 

何も持っていない自分よりも、何かを持っている自分のほうが優れているんだという想いを潜在的に持っているから自分を信じることができない。だから、『自分』ではなくて、後から手に入れた何かを自慢しようとしてしまう。

 

でも、冷静に考えてみると真っ白な人間であることも、他人を気にすることも悪いことだらけではない気がする。

 

真っ白だからこそ、他人を見ているからこそ自分にできることがある。

 

それが今までずうっとやってきた『メディア』という方法なんだと僕は思う。

 

自分が真っ白だからこそ人の色を受け入れられる。人の持っている色を活かして、綺麗な絵を描くことができる。絵を描いていく、描くためのキャンバスに自分はなれる。

 

具体的にいうと、自分が輝いていると思う人(色を持っている絵の具とか筆とかに例えられる)を伝えていく場所をつくる(メディアやプラットフォーム)ことで、その絵を見た次の絵の具や筆(若い人)がまた綺麗な絵を描きたいと思ってもらえるようにすることが僕のやりたいことなんじゃないかなと自問を繰り返していて感じた。

 

だからこそ、気づけたこと。僕は色を持っている人がいないと意味がない。でも、描く場所にはなれる。

 

先日世界を変えられると過去に思っていたと書いた記事にも書いたけど、僕一人では何も変えられない。世界を変えていくうちの、一つのものにはなれるかもしれない。

 

なれるためにも頑張っていかなければいけない。自分がメディアになるという行動をひとつひとつ積み重ねていって。

 

挑戦を続けて、そうして初めて描けるようになれるのかもしれない。

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