コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

今日だけは語らせてほしい

日本の陸上界に激震が走った。
 
いや、もしかしたら今日の出来事はきっと世の中的にも話題になったのではないだろうか。
 
 
陸上男子100mの桐生祥秀選手(東洋大)が日本人初となる9秒台の記録を出した。

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(画像出典:ASICS Japan Twitterより)

 
僕は午後まったく見ていなかったiPhoneを開くと、スマートニュースのアプリ通知で『桐生が日本人初の9秒台』という見出しを見て、初めて知った。
 
リビングでひとり「ええ!」と大きな声を出して驚いてしまった。
慌てて、ツイッターを開きつぶやいた。
 
 
どうやら、本当に9秒台が出たらしい。
追い風参考でもない、公認記録(2.0m/秒以上の追い風の場合、参考記録として扱われる)として。
 
 
いろいろなマスコミ、Webメディアがその様子を伝えている。

 

 

ツイッターのトレンドはほぼ桐生祥秀一色となった。
 
 

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いつもは陸上の話題など話さなそうな人もそのことをシェアしている。
 
それほどの出来事だった。
 
 
 
彼の名が世の中で認知されたのは、2013年4月、まだ高校3年生だった時に9秒台まで0.02秒に迫る10秒01を出したことだった。
 
 
 
今でも覚えている。
 
僕が高校時代、結果的に最後のレースとなった大会の翌日、
ツイッターを見ていてその様子が伝えられた。
 
 
 
もちろん、僕のようなぺーぺーな陸上部員から見たら、彼は遠い遠い遠い存在だった。
 
遠い存在だけれども、同い年の彼が十数年破られたことのない記録に挑戦する土俵に上がったことに、嬉しさを感じた。
 
 
 
その後、僕は陸上競技から離れる決断をしたが、トラックから離れても陸上競技の情報はずっと追ってきた。
 
 
 
あの日から4年半の月日が流れた。
 
彼はその間、スーパー高校生として、第一人者として『9秒台が出るか』という報道、そして世間の目を一身に背負ってきた。
 
 
 
出るか、出るかと言われ、その度に惜しい記録が続いてきた。
そして、その4年半が過ぎるなかで、日本人初の9秒台を出す可能性のある選手は6人に増えた。
 
 
 
2017年、ロンドン世界陸上の選考会となった日本選手権では、
年下のサニブラウン・ハキーム多田修平リオ五輪でバトンを繋いだケンブリッジ飛鳥に先着を許し、個人種目での世界陸上出場は叶わなかった。

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(画像出典:CYCLEより )

 
 
9秒台に一番近い男だと言われてきた、今年こそ、9秒台は時間の問題だと何度も言われてきた。
 
 
にもかかわらず、走っては惜しい記録が続き、ついには世界の舞台に挑戦することすら許されなかった。相当な悔しさを持ってきただろう。
 
 
事実、今日のレース後には『やっと4年間くすぶってきた自己ベストが更新できた』と語っている。
 
 
この時間が流れる間、ずっと第一線で挑戦し続けてきても、レベルの高い記録を出し続けても「くすぶって」いた。
 
 
 
彼が日本陸上界の頂点に立ち、世界の舞台で何を見てきたかは、到底僕には知る由もないほどのことだろう。
 
しかし、同い年の人間として、何かをやってきた人間として、この4年の間燻り続けてきたという思いは僕も分かる気がする。
 
 
 
1年半前のことだけど、
2013年、高校3年生の時に出た全国高校生MY PROJECT AWARD(通称、マイプロアワード)の同期の友達が言っていた言葉がある。
 

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『私は「マイプロ」のような世界を知ってしまい、何か自分も社会のためにしなければ!という謎の使命感をまとったおかげで、とてつもなく病みました。
 
私だけではなく、他の仲間も同じく病みました。時には「もうこういうの辞めてしまいたい。降りたい」と思うこともありました。
 
(中略)
 
「自分が病んだ時にそれでも立ち上がれたのは、この人達といつか一緒に仕事がしたいから、苦しくても悩み頑張り続けたい」と私も…』
 
 
まさに、僕にとっての『燻ってきた』というのは、これだった。
何かをしなければ!という想い、使命感を持ったが故に病んできた。
 
きっとこれからキラキラした世界が待っているんだろうと思っていた。
 
でも、現実は違った。
 
行動するけど上手くいかない、なんのために行動してるんだっけ?もう降りたい…と目的を見失い、暗闇から抜け出せないと思うこともあった。
 
 
 
彼の経験と僕の経験は、あまりにも大きさが違う。
 
そこに投影したところで、自分の経験が大きくなるわけではない。
 
 
 
でも、あの日10秒01というタイムを出し「9秒台への使命感を纏ってきた」からこその苦悩であり、4年間だったと思う。
 
彼が『世界の舞台でファイナリストになりたい』という自分自身の想いを捨てずに、見失わずに続けてきて、その舞台へ上がるための9秒台というタイムをついに出したというのは、自分にとって奮い立たされた。
 
 
そんな気持ちを持っていたからこそ、決して会ったこともない人だけど、日本人で初めて9秒台の世界に入る人間が桐生祥秀でよかったと僕は同世代の人間として、物事に向き合ってきた人間として、陸上ファンとして思った。
 
 
 
彼とともに日本の100mを引っ張ってきた山縣亮太選手は「9秒台を出すことは手段に過ぎない」と語っている。桐生選手も今日のレース後「突破してからが世界のスタートライン。」と言っている。
 
ここからが、やっと自分自身の勝負への道のりだ。
 
 
 
本当に、大きな大きな刺激を受けた1日になった。
 
僕も小さなアクションだけど、目的に向かって行動を起こして、仲間と一緒に仕事ができるような人間になりたい。いや、なってみせる。
 
 
夢を、刺激を与えてくれてありがとう。
 
 
桐生祥秀選手、9秒台本当におめでとうございます。