コハタのコトバ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

「丸くなったね」その一言に僕は縛られていたんだ。

『木幡って前に比べて丸くなったよねー。』

 

高校生の時からの同じフィールドで活動してきた人たちと焼肉を食べていたときに言われた言葉だった。

 

先に断っておくが、体型ではない。たしかに、陸上競技をしていたときよりは丸くなっているが。

Yakiniku

 

高校生のときの僕って、自分は社会変えれる人間なんだ!とか自分は誰よりもできる人間だ!って高いプライドみたいなものがあった。ある意味、尖っているっていうのかもしれない。

 

ビッグマウスな癖が僕にはある。自分にとってそれは良くも悪くも作用する。

 

良い意味では、自分の目標を明確にできる、人に何をしたいのか伝えることができる、それを糧に頑張れるという力はある。

 

一方で、悪い意味ではその先のゴールだけ掲げてなかなかそれに対する行動が伴わなかったり、一歩目は何するのっていう今のアクションにすぐ手をつけられなかったりすることもあって、口だけじゃんというときもある。実際、9割くらいはこっちになってしまうと思う。

 

そういう意味で、変に尖ってるやつだよねとか言っていることが上滑りしているよねとか、そんな感じに周りからは見えていたんだと思う。

 

そんな自分も、このコミュニティにいる時間が過ぎるごとに少しずつ、そんな背伸びばっかりしている自分の至らなさに気づいてきた。

大学に入ってしばらくしたころから、自分が無理をしていることや結局何を自分はしたいんだろうとか、意識高いだけなのかなと悩むようになった。それに吹っ切れたあたりからはあまり自分の等身大以上の言葉はなかなか言わなくなったような気がする。

 

大学1年生の冬くらいから『木幡変わったよねー。』とか『木幡丸くなったよねー。』と言われるようになった。最初は嬉しかった。

 

自分が柔らかくなっているんだなっていうのを実感していたから。

 

しかし、次第に周りの等身大で動いている人たちを見て、自分のやっていることは大きなことをやっていて他人からアイツまた意識の高いことをやってるよーって思われているんじゃないかと自信を失いはじめた。冷静に考えると、人に対してそんなに干渉する人は周りにそれほどいないから、あまり気にされていたかというとまぁ木幡こうだよねみたいな感じだったのかなと思う。どちらかというと、その自意識を持っていること自体が自信がなくて、等身大のことではなかったんだろうと思う。だから、それは本来他人が思っているだろうということではなくて、自分の気持ちから発せられるメッセージだったんだと思う。

 

高校時代に大きなことを言って、その中でも何個かは実際に100万円の資金調達を行って成功させたイベントがあったり、団体の代表をやったりしたことはあったが、大学に入ってからは抵抗感がとてもあった。

 

『丸くなったね』という言葉をかけられればかけられるほど、自分の中で大きなことを言ったり、やったりするとまた嫌われるんじゃないかという罪悪感や不安がトラウマとして募っていた。それと同時に、何もできなくなって行動しなくなっていく自分にもイライラが募ったり、気持ち悪さがあった。

 

だから、自分の世界は孤独になっていく。

 

その認識が変わってきたのは、ごく最近だと思う。

 

同世代の子から『高校生の頃の木幡はやってやろうっていう気持ちと勢いがあったから、輝いていたよ。自分を信じて。』という言葉をかけられたり、『キミらしさに磨きがかかってきたね!そのままで!』と言われたり、『たしかに、イラッとすることもなくはないけど、大きいことを考えられるのは木幡だからこそできることだと思う。』と返されたり。

 

そんな救われる言葉の他にも、ここ最近はゼミが始まって大きなこととか小さなこととかそんなことは関係なくて、とにかく努力することが大事なんだなというのを先生や先輩の姿を見て感じ始めたからこそ、自信を取り戻しつつある。

 

先生から言われた一言があった。

 

よく回る駒は音がしない。

 

本当にその通りだと思った。

 

中途半端に動いていると、グラグラと不恰好な回り方をしてしまう。音も激しい。しかし、全力で回す駒は軸がブレることなく、音もしない。本当に綺麗に見えて、凛としている。調子に乗っているようには見えない。

 

たしかに、行動をしているときってそのことに全力になっているから、軸がブレず、自信があり凛としている。

 

小さなこととか、大きなこととか、そんなことは関係なくて、要はその人が先を見て動き続けているか。自分の目標に向かって学び、行動していく人間であるかということが重要だということに気づいた。

 

動きはじめは、不慣れでグラグラすることもあるかもしれない。でも、動き続ければ必ずよく回る駒になる時が来る。僕はそのグラグラしていたときのことが頭に残りすぎて、その先に進めなくなって止まってしまった。

 

誰でも、その人にしかできないことがあるんだと思う。その、大きなことを見ていけることが自分にできることなのだとしたら、躊躇しないで自分を信じて動き続けていこうと思う。

 

そうしたら、その先に凛としている自分の姿があるんだと思う。

 

別の言葉でいえば、極めるということなのかもしれない。

 

丸くなって、他人のことを考えることがちょっとだけできるようになったり、自分の言葉で話すことができるようになったりしたからこそ、動き始めて今までの自分を突破しようと思う。

 

自分を信じて。

f:id:kotoba580:20160527173212j:plain