コハタのコトバ

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コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

浪江に行って感じたのは「見てきたようで見たことがない景色」だった

活動 仙台

今月11日、僕は福島県浪江町にいた。浪江出身の後輩が開いてくれたツアーに誘われて、参加した。

 

高校3年の冬に南相馬市小高、大学1年の冬に広野町に連れて行ってもらった経験があったから原発の近くに行くのは今回が3度目だ。

 

帰還困難区域のバリケードが設置されている光景、人影がひとつもなく草木が生い茂っている様子、自分が住んでいた場所は5年前から止まっているというこれまでも見てきたようで見たことのない景色だった。

 

目を逸らしてきた「震災」と向き合いたい。

 

こう言ってはなんだけど、行こうと思ったのは「単純に自分の目で見たい。」というのが最初の気持ちだった。

 

山本幸輝という東京の大学に通う、浪江町出身の大学生から誘いがあった。彼は、高校生の頃から福島を中心に活動をしていて、それで僕が大学1年のときに知り合って仲良くなった。

 

ツアー当日の幸輝。いまは、陸上長距離をやっていて朝練をしてきた。

 

幸輝から高校生の頃から浪江に対する熱い想いを聞いていた。だから「何かを考えたい」というよりも、久しぶりに会って彼がいま何を思うのか、浪江という地がいまどうなっているのかを単純に自分の目で見たかった。

 

震災から5年経ってどうなっているのかを。

 

そう思うのには「理由」がある。

 

僕は高校のとき石巻にいたというだけで実家は内陸の涌谷だし、被災地というものに当事者意識をなかなか感じないということもあって、大学に入学して仙台に来てからあまり震災に関しての言葉は出さないようにしてきた。自分が話しても、お門違いのような気がするから。

 

当事者意識は持とうにも、なかなか持てない。しかし、「東北」という地域を語ったり、まちづくりに関する研究室に入って活動するいま、逆に「震災」というキーワードから目を逸らしすぎるのも不自然じゃないか?と思って、自分はそれを見て何を感じるんだろうかというのを知りたいと思った。

 

見てきたようで見たことがない景色

 

当日は、僕と幸輝を含めた大学生5人と福島で高校生をサポートする一般社団法人の加藤さんと合わせて6人。

 

お昼に南相馬市小高地区によって、前日に再開したという食堂でラーメンを食べた。そこでは常時住んでいる人はいないとはいえ、小高地区は2年半前に行ったときと比べれば人が多くいた。

 

ちなみに、僕は小食なのか女の子よりもダントツで食べるのが遅かった…。頑張ってもやしラーメンを完食。

 

その後、浪江に行き津波の被害を受けた学校や幸輝たちが通っていた中学校、街の中を見て歩いた。

 

そこで僕が見たのは『見てきたようで見たことのない景色』だった。

 

被災地の光景を今まで少しは見てきたつもりだった。震災直後に石巻の高校に入り、部活で走るときに浜のほうで何もないところを見たり、被害を受けた校舎を見たり、ソーシャルな活動を始めてからは石巻だけではなくて他の地域のそれも見た。

 

この記事の最初に「当事者意識を持てない」ということを書いた。僕自身が「震災」「復興」という言葉を表に出さないようにしていたのは、景色を見ていろんなことを考えるが、その人たちの想いというところまで同じにすることはできなかった。いつも、見ても冷静でいれてしまうところが、自分が当事者意識を持てないんだなというのを冷たく返ってきた。

 

別に否定するとか、共感できないとかそういうことではない。単純にその人自身の想いを強く汲み取ることが自分にはできないと思った。

 

だから、自分が震災を語るのは違うんじゃないかなと思って、抑えていた。

 

しかし、浪江に入ったときはいろんなことを感じた。「衝撃」という言葉で表してしまうと嘘だけど、それでも今までとは確実に違う何かを感じた。

 

見えるものが違うという点はもちろんある。

 

彼の元住んでいた家は、バリケードの先でどう頑張っても入れない。同じ被災地でも、日本でも、そんなところがあるんだというのを自分の肌や目で感じたことはかなり大きかった。また、彼が通っていた中学校は津波の影響は受けてないが、2011年3月11日から5年という月日が経って尚、何も変わっていない。

 

そういう点が今まで見てきたものとは違うという点はあった。

 

でも、それだって今まで似たようなものは見てきたし、震災特番などでメディアを通して見てきた。でも、僕にとっては見たことのないような景色に見えた。

 

「思い出」が感情を揺さぶったのかもしれない

 

紹介するのが遅れてしまったが、今回のツアーのコンセプトは『彼の思い出を見に行く』だった。

 

僕にとってそこが感情が揺れるポイントになったと思う。

 

ただ被害の様子を見たり、人の話を聞くだけではなくて、そこにいた当時の彼が遊びに行っていた話、学校に通うときの話、スポーツをやったときの話、街を歩いたときに話。全てが入ってきた。

 

それがが今まで見たことのあるようで、今まで見たことのない景色だったんだと感じた。

 

自分の中で印象に残ったのは、自分の思い出がそこで止まったまま、でもそこには入っていけないという感情の強さみたいなものだと思う。

 

他の誰でもない、本人たちの直にある記憶、感情から引っ張り出されたものがストレートに刺さったんだと思う。

 

まとめ

 

今回、浪江に行ってみてシンプルな言葉はまだ出ていない。東北がどうだと今回だけでは語ることはできないし、震災に対してこうとか結論を出すこともしない。

 

何かに答えを出したいと思ったわけではなくて、単純に見たいと思っただけなので言葉にする必要もないと思う。

 

ただ、最近の僕は生まれた「涌谷」や自分がいま活動の拠点にしている「仙台」に対して何を思っているんだろう?というのに向き合おうと姿勢を変え始めている。きょうの話の流れで言えば「思い出」というものが、地域の見方(自分のなかでの景色)を変えるんだと思う。

 

今回、山本幸輝という人が持つ思いや記憶を見ることができた。ある意味では、浪江に行ったというよりも、山本幸輝のなかでの景色を見に行ったんだと思う

 

おそらく、僕は表では「震災」に向き合いたいと思っていたけど、真髄の部分では「今まで考えてこなかった、自分の地域」を考えたくて、地域への思いを語る彼らを見てきたんだと思う。自分のなかでの「思い出」を探っていけば、自分のなかでの「地域」が見えてくるのかもしれない。

 

何気ないきっかけだったけど、本当に今回は行ってよかった。

 

おわり