コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

終わる。始まる。

おととい、祖母が亡くなった。

 

夜に自分が家に帰る数分前に呼吸をしなくなったらしい。

 

祖母は2年半くらい前から寝たきりになり、介護が必要な状態になっていた。去年の夏くらいからは何も食べられなくなり点滴で栄養を取り、喋ることもほとんどできなくなっていた。

 

秋くらいからは今月を越えられるかどうか…という話も家族のなかでチラホラ出ていたから、12月の誕生日を越えて、年も越したことを考えればけっこう頑張ったんだなあ…ばあちゃん…って思う。

 

数日前からそろそろ危ないかもしれないと言われていたから、帰ってきた自分に母親から「ダメかもしれない…」と言われて驚きはしなかったが、その日の昼間にあった嬉しいことやこれからのことを考えながら帰ってきただけにギャップが大きいな…とは思った。

 

不思議と悲しいとか、寂しいとか、そういう感情は起こらなかった。

 

ただ「そうか、人生はいつか終わる時がくるのか。。。」ということをまざまざと見せつけられた気がした。何気なく家から出かけてったその日、帰ってきたらひとりの人生が幕を閉じている。なんだって、確実に終わりは来る。

 

ずっしりと自分の気持ちに乗っかった。

 

 

昔から僕のことは応援してくれた。小学校の運動会で走る自分も、中学校の駅伝大会で走る姿も、高校で陸上をやる自分も、テレビに映る自分も、大学合格が決まった時も嬉しがってくれた。

 

僕が活躍することを期待してくれていた。

 

 

不思議なことだけど、一緒に暮らしてきた祖父も祖母も自分にとっての次が見えてきた頃に亡くなっている。

 

じいちゃんが亡くなったのは僕が中学3年の秋だった。

 

 

いろんなことに悩んだ中学2年を抜けて、進みたい進学先も決まり、陸上や駅伝を夏にやり始めて高校でも陸上をやろうと決心した秋口にじいちゃんは亡くなった。

 

思い出してみると、駅伝を始めたのはじいちゃんの影響もあるかもしれない。

 

じいちゃんは高校生(たぶん戦後まもない)時代に駅伝を走ったのだという。だから、家ではたまにじいちゃんがマラソン中継を見ていた。

 

その当時はあまりマラソンを見ていて面白いと思わなかったけど、運動会も持久走大会も自分が走る姿を見てじいちゃんもばあちゃんも応援してくれた。

 

 

応援してくれるのが嬉しかったから、走ることが好きになった。最後に応援してもらったのは、夏休み直後の駅伝大会でアンカー区間を走る自分の姿だった。

 

それから次が決まってきて、頑張り始めた自分に安心してくれるかのように、秋に入って祖父は亡くなった。

 

 

祖母もこの2年間ほどは、大した会話もできなかったけど、どんなふうに自分を見ていたのだろうか。

 

 

時を同じくして、この2年ちょっとの時間は僕自身もモヤモヤしてきたから、家族にもそれなりに心配をかけてきた。ばあちゃんも何も喋れなかったけど、僕のことを心配してくれてたのかもしれない。

 

 

奇しくも祖母が亡くなったのは、駅伝部のメンバーに一人目が加わって喜んでいた日の夜。この記事を書いた3時間後だった。

 

 

kohatanokotoba.hatenablog.com

 

分からない。家では、もう一回4年生をやるんだという話と駅伝部を作りたいという話を掻い摘んでしたくらいだ。それ以上は特に話していない。

 

だから、それを祖母が知っていたかどうかはもはや僕の想像としか言えない。

 

 

でも、もしも僕が僕なりに答えを出して進み出したこと、想いを現実に変えていく姿に安心してくれたなら、それはとても嬉しい。

 

 

僕が競技復帰した時、駅伝部を立ち上げようとした時に思ったことは、

 

「自分の人生が終わる時に、あれを全力でできなかったなとは思いたくないな。」

 

そう思って、行動を起こした。

 

 

長らく意識してこなかったし、終わる時何を思うかなんて遠すぎて一体何を思うことが納得のいく終わり方なんだろうと漠然としていたけど、人の死というのを身近に目の当たりにして、絶対に終わりが来るのだとしたら自分の想いを体現した方がいいと思った。

 

前の記事にも書いたけど「身体は『想いの乗り物』」だ。

 

自分の想いを最大限、カタチにするために走った方がいい。

 

そんなことを、思う。

 

 

何かが終わる時、また何かが始まる。

 

人生は度々、長距離やマラソンにたとえられる。しかし、人間は一人で生きているわけではなく、いろんな人間と影響しあって生きている。

 

そういう意味では、襷を受け、次へと運ぼうと進む「駅伝」にも似ているのかもしれない。

 

 

自分は「自分の走り」をする。

 

それが最大限、ぼくにできることだと思う。