コハタのコトバ

コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

本気だすという言葉のふわふわ感

きのうは大学でゼミがあって、卒論の進捗報告をしてきた。

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外は雨模様だった。
 
 
それにしても、去年一つ上の人たちの卒論をやっている様子を見ていたときは、
自分はきっといけるだろうなんて思っていたけど、今ではまったくいける気がしない
 
 
 
卒論で先輩たちが悲鳴をあげながら書いていた理由がやっと分かった…。
 
 
第一、僕はテーマを大学に入ってから『これで書こう。』としていたことから、夏場に行き詰まりを感じて変更した。
 
もともと僕は『若者に対する地域人材育成の効果』について書く予定だった。
 
 
つまり、震災後に被災地などで活動している教育NPOの活動によって、どのようにまちづくりに対して効果が出ているのかというのを書こうと思っていた。
 
 
しかし、実際に書き始める時期になると、果たして自分が書きたい、知りたい内容なのかという壁にぶち当たった。
 
 
自分自身が団体で行っているプロジェクトについて「これなのだろうか。」という行き詰まりを感じていたということ、ゼミの中でまちづくりと若者についてのテーマを書く人が3人いたということがあって、いろいろと考えているときに「やはり、自分はメディアについてやりたいのかもしれない。」と思い、メディアとまちづくりについて書くことにした。
 
この大学に入ったときに書いた志望理由書には『メディアをつくる人になりたい』と書いたくらいだ。

という話は「予告的なやつ」に書いた通りだ。

kohatanokotoba.hatenablog.com

 

 
 
 
とはいえ、である。
 
なかなか、どこからやっていいのか分からない。
行き詰まりすぎている…
 
さて、ここからが本題だ。
 
 
だいぶ、本題に来るまでに時間がかかったのだけど、
大概僕たちはこういうとき「やばい。ちゃんとやらなきゃ。」もしくは「本気出さなきゃ。」と言ってしまう。
 
 
おそらく、これは高校生の頃テストが返ってきたときも言ったと思うし、
プロジェクトがうまくいかない時も言ってきた。
 
 
そろそろしっかりとそういう言葉を発する自分に対して、
自覚を持たなきゃいけないと思っているので、敢えてこの記事を書いているんだけど、
 
 
『ちゃんとやらなきゃ』と言って、その後ちゃんとやった試しはないし、
 
『本気出さなきゃ』と言って、本気を出した試しはない。
 
 
 
 
別に、こういうことを思うことが悪いとは思わないし、今日から本気出そうと、明日から本気を出そうと変わらないのだけど、やらなければいけないことはやらないといけない。
 
 
第一、ちゃんとやらなきゃと思ってやれるなら、今までだってちゃんとやってきた。
 
ちゃんとやるための方法が分からないからちゃんとできないんだ。
 
 
もっと言えば、ちゃんとやるための手始めの行動で何をしたらいいのか分からないから、結局「ちゃんとやらなきゃ。」という言葉でまとめるしかないんだ。
 
 
苦しい話だけど…。
 
 
この数年の一件から学んだことは、
ちゃんとやりたいと思うなら「ちゃんとやらない」ことを意識するほうが近道だと思うし、本気を出したいと思うなら「本気を出さない」と意識するほうが近道なのだと思う。
 
 
前のブログでも書いたけど、
朝起きて10km走ろうと思うと本当にだるい。
 
なので、まずは着替えるという簡単なところからやっていくと、気づけば3kmくらい走っていて、5kmまで、8kmまで、10km走っていたということになっている。 
 
 
ちゃんとやろうと思うと、モチベーションが高い時はそれで乗り切れるのだけど、
ちゃんとやりたくないと思った瞬間、一気に潰れてしまう。
 
 
なので、ちゃんとやらなくてもできることをまずやってみる、というところから始めるとちょっとできる。
 
ちょっとできたら、もうちょっとというふうにやっていく。
 
 
そうすると気持ちが乗ってきて、よし頑張ろうとなる。
つまり、本気を出すのは行動を起こしてからゴールに向かうまでの段階で出せばいいのだと思う。
 
 
まあ、そんなこんなで、
卒論もやらなければいけないので、自分を監視してもらうためにも、進捗の様子をブログにも書いていこうと思う。
 
 
今日は、きのう研究室から借りてきた先輩の論文を読んでいる。