コハタのコトバ

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コハタのコトバ

木幡真人の『コハタのコトバ』

すごい僕、やめます。

「仙台で一番すごい」とか「すごい大学生」と言われることがたまにある。

 

周りからみるとバリバリやっててできるみたいなイメージなのかもしれない。

 

今までぼくもそういうバリキャリ!エリート!すごい!みたいな像で見られたい欲求もあったので、そういう自分でいた。

 

実際、すごいと言われるのは嬉しい。

 

でも、なんか。

 

「自分これでいいのか」みたいな感情はずっと抱えていて、すごいって言ってもらえるけど、そこから深まったり、広がったりってあるのか。

 

シンプルにいうと、本当になりたい自分ではない。

 

そんなことをこの1年間感じるわけで。

 

こないだ先生から「木幡はリーダーではあるけど、実は前に出ていたいタイプじゃないんだね。」と言われてハッとした。

 

今まで、こうでありたいと願っていると思っていた像は、実はこうでなきゃいけないと思っていた像だった。

 

ちゃんとしないとできないんじゃないか、大きくしないといけないんじゃないか、自信ありげじゃないといけないんじゃないか。そんな不安とともに、自分の本当に望んでる場所が分からなくなっていく自分に苦しんでいるとは知らずに苦しんでいた。

 

今まで目標にしてきたことって実はありのままの自分じゃなくて、こう戦略を立てたら受けるんじゃないか、みたいな誰のためでもない客観視で。

 

自分がなりたい姿だから書いてるんじゃなくて、こうだったら儲かるかもみたいなイメージ。でも、それってあまり幸せではない気がする。

 

 

前に、BigよりGoodになろうって言ってたひとがいた。今ならわかる気がする。

 

自分にとってのGoodを追い求めたい。

 

大きくすることだけが目的ではないと思う。本当はどう描くのかは自分次第。

 

小さいまま続けていくことだって一つのカタチだと思う。

その想いを突き通せるかどうかが重要なのに、そこに自分は勝てなかった。

 

実はぼくは大勢で話すことや大きなことをすることがあまり好きではない。

 

今までは、自分は好きまではいかなくてもできると思っていた。でも、よくよく考えてみると無意識にこうしたほうがいいかなとかこれが成功イメージみたいな気持ちでそれを選びとっていた。

 

謙遜ではなく、僕は真ん中で目立っているタイプではない。教室の隅っこで好きなことを好きな人たちと平和におしゃべりしてたいタイプだと思う。ああ、そういえば中学生、高校生のときもそんなだったな。

 

だから、真ん中に立つことにとても緊張を感じる。中学生のときに学級委員になったときはなった後が憂鬱で仕方なかった。笑

小さなグループで話したり、対話していることが一番楽しい。

 

僕は演じるというよりも、自然体で会話を楽しんだり、デザインをやったり、企画をすることが好き。つくっていることが好き。

 

だから、これから何かをするときは基準をすごいかどうかじゃなくて、自分の想いを忠実に再現できているかどうかだし、自分がそれをどれだけ愛せるかにしようと思う。

 

やっぱり、ぼくはクールにすごいふりをしているよりも、みんなに愛嬌を振りまいている自分のほうが大好きだ。

 

実際、大してすごくないし。